次世代を担う教師を育てる一年間の教師・指導者育成プロジェクト

育成プロジェクト・あしも 【事業報告】
2011年度指導者育成プロジェクト参加者 橋本 育実
     〜1年間実習生あしもの学びのコラム〜


4月の研修報告研修担当ぱるのふりかえり

5月の研修報告研修担当なおみちのふりかえり

6月の研修報告研修担当みけのふりかえり

7・8月の研修報告研修担当ばんのふりかえり

9月の研修報告研修担当にっきのふりかえり 

10月の研修報告研修担当のりのふりかえり

11月の研修報告研修担当のってぃーのふりかえり

12月の研修報告研修担当かおるこのふりかえり

1月の研修報告研修担当なおみちのふりかえり

2月の研修報告研修担当ぱるのふりかえり

3月の研修報告研修担当しんのふりかえり

 4月あしも研修報告

共同生活に対する自分の帰属感の獲得

初めての共同生活での最初の試練は、だいだらぼっちで自分の存在を考えることでした。一応生活ルールを覚えても、実際にどう過ごせばいいのかわからずに困りました。プロジェクト生ということもあり、当初私は自分が共同生活の中でどこにあればよいのか、さらにはこの共同生活の中にいて良いのだろうか、いる場所があるのか、と考えていました。自分の中で『この共同生活に所属している一員だ』と自信を持って言えるようになった時、初めてこの共同生活集団への帰属感を得ました。その帰属感を裏付けてくれるのは周りから認めてもらう、支えてもらう、必要としてもらうこと。特に必要としてもらうことは大きな要素なのではないかと思います。物理的な要件で必要なのではなく、その人の存在自体がこの集団には必要なのだ、という意思表示、存在の承認が大切なのだと実感しました。


帰属感と主体性

だいだらぼっちでは「話し合い」を大切にしています。この話し合いでは大人もこどもも関係なく、誰でもここで生活する一人の人間として、話す権利、聞く義務があると思っています。ただし、この話し合いには参加する一人一人が議題に対する(生活に対する)プラスの主体性を持って参加することが前提条件だと思います。でもプラスの主体性を持つことはなかなかできないことではないでしょうか。そもそも、主体性がどうやって生まれてくるのか。私は、それは帰属感が大きく関係しているのではないかと考えます。その集団に対する帰属感を得ることで、その集団に対する自分の存在が安定し、そこから活動の幅を広げていくことができるのではないでしょうか。存在が安定し、活動も増え、その集団がとても居心地の良いものになったとき、その集団に対しての主体性をより強く発揮するのではないだろうかと考えます。まだまだ私もこども達も様子見で、おとなしくしているところもあるかと思うので、これから一緒に色々なことにチャレンジしていきたいです。

相談員として

初めての共同生活という点で、こども達も私と同じことを考えているのではないかとも思います。最初の頃はキャンプのテンションでまとまりがあったものの、だんだんと日常になり相手のことがよく見えてくるとそうもいかなくなりました。それぞれ自分の安定する位置を求めて生活するなかで、少しずつだいだらぼっちのくらしが各々の中に落ち着いてきたのかなと見ていて思います。私は一緒に生活する相談員として、子ども達の帰属感を促したり、その帰属感から安定して活動が始められたりするようなお手伝いができたらいいです。きっとこども達一人一人が安定する位置に落ち着いてからが、だいだらぼっちの本当のスタートなのではないかと思います。ここでしかできない色々なことにこども達と挑戦して、今年だからこそのくらしをつくれたらいいな、と思います。




□ 研修担当ぱるのふりかえり 

スタッフ・ぱる「どこまでやっていいかわからず動けなかった」というのが、始めに出てきたあしもの感想でした。あしもが言う『安定する位置』とは、コミュニティの中での立場、役割とも言えるでしょうか。
共同生活では、自分の役割を認識して行動することが求められます。例えば昨年からいた人が新しい人に教える、など。これは他人との関係性の中で決まるものです。そして、責任をふまえた上での自由も、暮らしを楽しむためには欠かせないこと。
4月は関係性が作られる時期で、一旦落ち着いてきますが、それも束の間、関係性が変われば役割も変化するし、「責任をふまえた自由」も慣れると「勝手」になりがち…。
でも、それが人間。それが暮らし。そこで出てきた問題にどうみんなで向き合い、解決していくのか。あしもの言う通り、それぞれが主体性を持って関わっていくことで、きっとこの仲間だけの、素敵な暮らしが創れるはず!それはこどもにも大人にも、一人一人に求められること。そうして色んな社会は成り立っているわけですから。
 大学を休学して一大決心でこのプロジェクトに参加してくれたあしも。だいだらぼっちは小さな村の、小さな集まりですが、これからみなが出ていく大きな社会の要素がたくさん詰まった学びの場。こどもたちと共に体験し、大いに失敗して悩み、考え、前に進む力を培ってほしいと思います。がんばれ、あしも!



 5月あしも研修報告

人の力の大きさ

ゴールデンウィークにだいだらぼっちのOGOB・保護者関係者の方々を招いて、一緒に作業を行う合宿がありました。私は食事係でこどもたちが決めたメニューの食材を発注をしたのですが、100人以上の食事の発注量は最初検討もつきませんでした。当日は20合炊きのお釜を4釜炊きましたが、一食ですべて食べきってしまうこともあり、人がたくさんいるということに圧倒されました。大勢の人が寄って作業した合宿。母屋の目の前にあったものすごい量の薪の山がきれいになって、それぞれお風呂やストーブ用に積まれているのを見たときは、本当に感動しました。人が集まるとこんなに凄いパワーが生まれるのか、と目の当たりにしました。今回のことを次回以降のイベント企画で生かしていきたいです。


田んぼや畑・薪作業を通して

5月に入り、田んぼと畑作業が本格的に始まりました。田植えではカイワレ大根のようになっている稲の苗を3本ずつ植えました。3本ずつなんてどれだけかかるのだろう、と気が遠くなる思いでしたが、気が付いたら一枚終わり、もう一枚終わり、お昼を挟んで、午後の早い時点で田植えを終わらせることができました。人の力の大きさを改めて感じました。また、作業をしていて思うのは「自然は学びの場」だということです。この学びはテストではかれるものではありません。でも、大なり小なり、確実に自分が生きるか死ぬかにつながっています。例えば山菜の知識、蛇の知識、木の知識など。村のおじいちゃん、おばあちゃんはプロフェッショナルです。今は技術も進歩して便利になったので必要がないこともあるかもしれませんが、自然の中で自然とともに生きていく姿勢は変わらずに大切なことだと思います。まだまだ駆け出しですが、私も少しずつこの学びを増やしていけるといいです。

こどもたちとの毎日

こども達と過ごす中ではいいことばかりではなく、悪いことやトラブルもたくさんあります。そういったときにこどもとどう接するか、どうすればいいのか、考えました。まずは、そのことだけにとらわれないこと。私は自分に余裕がなくなるとついつい悪いことばかり目について、その子のことをその面でしか見られなくなっていました。でも視野を広く持って、精神的余裕があれば、その子の頑張りやいいところがたくさん見えてくるんだなあと思いました。この視点を常に持っていられるといいのかもしれませんが、私はすぐかーっとなってしまうので、日々精進していきたいです。また、おそらく、こちらが思っていることは、接する態度や言葉尻、表情で子ども達には伝わっているのだと思います。うわべの付き合いは大人をよく見ているこども達はすぐ見抜いてしまうので、「こども」とするのではなく、「一人の自律した個人」として接していく努力と、時に「こども扱いする」ことも必要なのだと思います。さじ加減が難しいですが、私なりのやり方で子ども達と向き合っていきたいです。


□ 研修担当なおみちのふりかえり 

スタッフ・なおみちキャンプのような非日常だった4月から、すっかり日常となってきた5月。新しい人や新しい場との出会いから、好奇心旺盛のあしもは、野草について調べて手作りの虫除けを作ってみたり、積極的に近所の方と関わるようになりました。小さな出会いを大切にして自分の学びのチャンスに変えるその姿は力強さを感じます。
こどもたちから1番近い距離にいるあしもは、こどもたちのお姉さんという存在ですから、当然のごとくこどもたちから受ける試練はさまざまあり、悩むこともたくさんあるようです。しかし、そんな時も「大人として」「相談員として」自分の言動はどうだったのか?どうしたらよかったのか?一生懸命考えて、時に相談にくるあしもは常に前を見ています。今の自分が自分の力で答えを出す経験を大切に、ステップアップしてほしいです。




 6月あしも研修報告

村の人たちとの交流

6月はぐっと村の人たちとのかかわりが増えた月でした。休日に布団を干したり、家の周りの草刈りをしているとお隣さんが声をかけてくれたりします。野菜をいただいたり、草刈りを手伝ってくださったこともありました。だいだらぼっちでも野菜や果物、時には狩った動物をいただいたり、田んぼや畑のアドバイスをいただいたりします。何気ない毎日の生活が、人の温かさに守られているのを感じます。泰阜村の「結」という文化、お互いさま、ということなのだと思いますが、都会の人の距離感に慣れていた私には、村の人たちが優しすぎて驚くこともありました。最近は村の和太鼓チームの練習に参加させてもらうようになったので、そこで色々な話を聞くのもまた楽しみになっています。


自分を再発見する

今までも自分と向き合ってきましたが、6月はそれよりも一歩進んで、自分の内面と現実との折り合いをつけられるようになってきました。例えば、面倒くさいと思ってもみんなの迷惑を想像してあとちょっと頑張る。自分の欠点に対して、それを補う何か対策をとる。今までは悩みに対して当事者と相談相手になっていましたが、第三者的な視点で自分のことを見て考えることができるようになってきたのかもしれません。それにより、新しい視点から自分を再発見するようになってきました。もちろん自分のいやな部分も見えてきます。でもすべての部分をひっくるめて自分なので、それを受け入れて吸収できるようにこれからも自分と付き合っていきたいと思います。

あっという間の6月

大きなイベントが盛りだくさんだった5月と比べて6月は特に大きなことはありませんでしたが、だいだらぼっちのメンバーが1人増えたり、炭焼きをしたり、キャンプに向けて毎週川で研修があったり、などとても濃い1カ月でした。だいだらぼっちでも毎日毎日子ども達の間でたくさんのドラマが生まれていました。些細なことでけんかしたり、思いついた遊びをやってみたり。たわいもないおしゃべりや冗談がいろんなところで生まれていました。だいだらぼっちの暮らしに慣れ、メンバーのこともわかってきたからこその雰囲気だったのかなと思います。皆で団結して何かをした時にできる団結力もありますが、日々を一緒に暮らしていく中でじわじわと仲間意識が浸透していくようでいいなあと思いました。それと同時に、私自身が振り返ってみるとなぜかあっという間だった6月。前述のとおり充実した日々だったにも関わらず、あまり「6月」という意識がありませんでした。生活に慣れて、無意識に生活に埋もれ始めていたようです。今思うともったいなかったなあと思います。きっと見落としてしまった6月の魅力、味覚、出会いがたくさんあったはずです。また同じような後悔をしないように、意識して1日1日を過ごしていきたいと思います。



□研修担当みけのふりかえり 

スタッフ・みけ「何気ない日々の営みの中に、実はたくさんの学びの種が散りばめられている。」
あしもはきっと6月を終えたときにそう思ったのではないでしょうか。
振り返りの最中、あしもが口にしていたのは、「あっという間だった」「記録(日記等)しておけばよかった」ということでした。休日のお隣さんとのやり取りは、一見ただのおしゃべりだったりするのですが、そこにはお隣を「気遣う」という「種」があります。いつもなかなか目にしないあしものことを、「毎日遅くまで大変だな。」「(草刈りなど)大変なとこがあったらやったるでな。」「お茶飲みにおいなんよ(おいでよ)。」と、まるで自分の娘や孫のように気にかけてくれているのです。
「困った時はお互いさま、何かあったら声かけなんよ。」
こんな風に声をかけることは、昔は当たり前だったのに、今は希薄になってしまっている人間関係。泰阜村には、この「お互いさま」「おかげさま」という日本のもつ豊かな関係性が今でも息づいています。こどもたちとの生活だけでなく、地域で、地域民として暮らすことによってよりその豊かさに気づかされます。(地域民として暮らすとはどういうことなのか、については話すと長くなってしまうので今回は割愛しますが。)
声をかけていただいたお隣さんや、地域の温泉で顔を合わせた面識のない近所のおばさん。あしもはその人たちとかかわりを自ら持ったので、新しいつながりが生まれました。そして人の温かさを知り、地域コミュニティを成り立たせている大きな要素がそこにあることに気づき始めています。きっとこどもたちとの関係性の中に、それらは活かされていくのだと思います。

意識せずにいるとそのまま通り過ぎてしまうようなことだけれど、そこに自分の意識をおくだけで、実は学びになることがたくさんある。それこそがまさしく「暮らしから学ぶ」です。3月までの暮らしの中で、あしもがどれだけの「種」に気づき、それをどのように自分の中で育てていくのか楽しみです。
あしも、頑張れ〜!




 7・8月あしも研修報告

キャンプに参加して

7・8月は主に山賊キャンプの運営スタッフとして活動しました。キャンプはずっと同じ場所でやっているのに、参加する子どもや相談員さんによって一つ一つ全く違うキャンプになって面白かったです。色々な出来事やたくさんの出会いがあった夏でした。7月後半からキャンプに入って、あっという間に終わってしまったという印象です。でも途中、忙しさに追われて、仕事としてキャンプをこなしてしまっていた自分もいて、キャンプに入り込めず、葛藤することもありました。結局、今考えると、自分でいっぱいいっぱいだったのかもしれません。でもそのメンバーでのキャンプはそれ一回きり。二度とありません。もっと積極的にキャンプに関わって思いっきり楽しめばよかったなあ、もったいなかったなあ、と思います。また、キャンプに来ているこども・相談員さんに対して、運営側としてまず自分が楽しんでキャンプの雰囲気を盛り上げていくことが大切だったのだと改めて感じました。今回キャンプで考えた、感じた、色々なことを日々のだいだらぼっちでの生活や冬のキャンプに生かしていきたいです。

だいだらぼっちの子の凄さ

キャンプでこどもたちと接していて痛感したことは、こどもたち(というより、誰しもそうかもしれませんが)は「はじめはなにもできない」のだということでした。成長していくうちに私はいつしかこどもの頃のできなかった自分を忘れ、今の「できる自分」を基準にしてしまっていました。だいだらぼっちでこどもたちと暮らすなかで、洗濯ができなかったり、物を置きっぱなしにして無くしたり、どうしてなんだろうと思うほどでした。
でもキャンプで色々な子を見て、だいだらぼっちのこどもたちの凄さが見えてきました。毎日の朝づくり、ごはん当番、洗濯、風呂焚きを自分たちでやっていくことが、実は凄いことなのだと気づきました。私のこども時代を考えると、はたしてできていたか怪しいです。最初は「できない」ということが当たり前のこどもたち。でもできると思い込んでしまう大人。そこでの期待はこどもに重圧をかけてしまう。だからといってこども扱いするわけではなく、「今はできないけど、できる可能性を持っている」人として接していきたいです。それはこどもだけではなく大人にも言えることだと思います。なかには、できなければいけない場面もあり、身体的にまだ難しいこともあります。良い調子の時もあれば調子が悪い時もあります。あまり期待しすぎず、でも可能性は信じて、こどもたちと暮らしていきたいです。


こどもの土台と支点 〜こどもを支えるものはなんだろう〜

先日ある時にグリーンウッド代表のだいちが土台と支点の話をしてくれました。
私は「なんでも、いくら土台がしっかりしていても、支点がしっかりしていないと意味が無い」という話だと解釈しました。そこから考えるのは、こどもの支点はどんなものかということ。いままでそんなこと考えたこともありませんでした。だいちの話を聞いて、土台作りはもちろん、支点の強化と支点を増やすことも一緒に考えていかなければいけないのではないかと感じました。こどもの支点(こどもだけではなく、人が生きていくために共通している支点かもしれませんが)とはなんだろう、安直に考えたのは「自分を理解してくれるものの存在」です。それは家族だったり友達だったり、もしかしたら実在しない二次元のキャラクターかもしれないし、動物かもしれません。また、支点というと対外的な何かに支えてもらうイメージですが、外側の支点だけでなく、己の中に自分で自分を支える(=自立させる)支点を造ることも必要なのかと思います。今回の気づきをきっかけに、また色々考え、自分はどういう側面でこどもに接していきたいのか、どういった手法がいいのだろうかなども考えていきたいです。


         



□ 研修担当ばんのふりかえり 

スタッフ・ばん山賊キャンプは、ひと夏に約1,100人のこどもと350人ものボランティアの方々が集う事業です。そこでの経験は、こどもたちやボランティアの方々だけではなく、あしもにも貴重な学びを与えてくれました。

キャンプ中、あしもはこどもやキャンプのことだけではなく、自分自身のことも含めて悩むことがありました。
だいだらぼっち同様、キャンプには、様々な価値観・背景をもった人々が集まり、ときには悩みを抱えながら暮らしを共にしていくこともあります。
振り返りの中で、あしもは「自分の気持ちに左右されることがあった。その場に合った自分をつくらなきゃいけないと感じた。」と話しています。
これは、キャンプを楽しみに来たこどもたちに対して、迎える側として大事な心構えです。

一方で、理想の教師、教育者の姿とは何でしょうか?
「何でも完璧にこなす人?」「常に顔色を変えずにいられる人?」

暮らしの中では、こども同様に私たち大人も悩みをもち、喜怒哀楽の感情を表すこともあります。人間関係、自然・生活環境において、様々なトラブルが起こるのが暮らしであり、社会そのものなのです。
そして、よりよい人生を歩む・よりよい社会を切り拓くために大切なことは、「悩まないこと」ではありません。むしろ、色々なことに悩みながらも前に進もうとすることこそが大事なことです。
キャンプ中のあしもの姿自体がこどもたちにとって大切なメッセージとなったはずです。

あしもはここでの学びを活かして社会教育に携ることを志しています。
「悩みながらも自分で答えを出していく」姿勢は、どんな状況の中でも重要なことです。
ここでの5ヶ月間の生活を経て、あしも自身「やりたいこと」がドンドンと生まれています。だいだらぼっちのこどもたちと一緒にそうした「やりたいこと」、小さな夢の実現に向かってこれからの日々を過ごしていって欲しいと思います。
がんばれあしも!そして一緒にがんばろう!




 9月あしも研修報告

「話」をした1カ月

9月はだいだらぼっちのこどもたちや保護者の方々、グリーンウッドの相談員、私自身の家族や友達とたくさん話した月でした。たわいもない世間話から、少し真面目な内容、真剣な相談まで。それぞれの内容は違えど「人と話すこと」の大切さを改めて感じました。
1つは相手を知ることができること。話してみて初めて相手の思いを知り、そこから自分の勘違いに気づきました。今まで思っていたものとは違う相手の姿に出会うことは、とても大きい気づき・学びを私に与えてくれます。
2つめは自分を知ることができること。自分の内面を言語化して外に出す(話す)ことで、自分自身の頭の中がきちんと整理されます。話した相手からは、客観的に見た自分のことを教えてもらえます。1人でずっと悩んでいたことも、整理してみると実は打開策がぽろっと出てきたり、案外そう悩むことでもないことに気づいたりしました。
最後に「話すこと」で大きい意味を感じたのは「自分は認められているんだ」という安心感が得られること、また、与えることができることです。話の内容に関する返答はなくても、ただ「話をきいてもらえる」というだけで、人は大きな肯定感を得るのではないでしょうか。そこからお互いに相手を認め合えるようにもなっていくと思います。このことは初めは意識すらしていなかったことですが、実際自分が話したりこどもたちの話を聞いたりする中で、自分・こどもたちの変化に気づき、実感しました。
学校の行事やだいだらぼっちでの企画など忙しい毎日ですが、夕飯やお風呂、ちょっとした時間を見つけて、くだらない話から大事な話まで、こどもたちとたくさん話をしたいです。


だいだらぼっちの子の凄さ

毎日だいだらぼっちでこどもたちと暮らしているなかで色々な姿を見てきたつもりでしたが、9月は彼らのまた違った一面に出会いました。それは学校生活の姿です。小学校は運動会、中学校は「恵曽祭」という文化祭がありました。普段はだいだらぼっちで話を聞いたり、学校からのお便りを見たり、小学校には授業参観に行ったこともありましたが、中学生の学校生活を見に行くのは初めてでした。
小学校の運動会はお弁当を作ってみんなで応援に行きました。お昼にはこどもたちがお弁当を食べに来て、総勢60人ぐらいになりました。ものすごい大所帯でしたがわいわいと楽しかったです。いつもと違う真剣な表情や、リーダーになって応援で大きな声を出している姿、友達とふざあけあっている様子など、とても新鮮でした。変なことを言えば『こどもらしい』姿を見られた気がして、「みんな小学生だったんだなあ」としみじみ思ってしまいました。中学校の恵曽祭では学年ごとの発表や職場体験をまとめた壁新聞の展示などを見てきました。同級生と楽しそうにしている姿や立派な掲示物を見て、小学生の時と同じように、まだまだみんなのことを知らなかったんだなあと思いました。学校とだいだらぼっちと、あまり重なることのない世界ですが、それそれの頑張りがうまく作用していけばいいなと単純に思います。また、その頑張りを支える「毎日生活する場」として、だいだらぼっちがみんなにとって『家』のような素が出せる、リラックスできる場であるといいです。私もだいだらぼっちの一員としてそういう場を一緒に作っていきたいです。




□ 研修担当にっきのふりかえり 

スタッフ・にっき長期ボランティアとして関わった7・8月の夏の信州こども山賊キャンプも終わり、9月はだいだらぼっちのこどもたちとの生活に戻りました。あしもは夏キャンプが終わり、こどもたちとの関わり方や相談員としての役割を把握し、ここでの暮らしに充分慣れてきているのではないかと思います。
 あしもは9月にたくさんの人と話をしたと話をしてくれました。自分から切り出して話をできたことはとてもよかったと思います。ここだいだらぼっちでは、こどもも大人もやりたい!と思ったことは、挑戦できる環境にあります。ただし自分が行動に移さなければ何も始まりません。色々な人と話をするということを例にすれば、機会や時間があったとしても、自分から話しに行かなければ何も始まりません。
私もだいだらぼっちに来てから6年目になります。諸先輩方からここで仕事をしている思いや、価値観、生活スキルまで色々なことを学びました。だいだらぼっちに参加しているこどもたちのお母さん方からも色々なお話を聞くことができます。普段出会わない人と出会うこともできます。そして皆さん色々なお話をしてくださいます。お話をすることで自分自身のものにできることは本当にたくさんあります。大学を休学して来ているあしもにとってはなかなかない環境でしょう。この環境にいることを活かして色々な価値観や自分自身を知るきっかけをもっともっと得てもらいたいと思います。そして、そこで聞いたことを自分自身のものにして自分の力にしていってほしいと思います。
9月が終わって私とあしもの2人で話す時間をとりました。あしもの夢について聞かせてもらいました。夢を描けることはとてもすばらしいです。私はその夢を応援していきます。そして夢に向かって今吸収できることがたくさんあります。前期が終わり、後期に入ります。指導者育成プロジェクトに参加した一年がより良い年になるように色んなことにチャレンジしてほしいです。がんばれあしも!!




 10月あしも研修報告

色々なことが盛りだくさんだった10月

10月が終わって振り返ったときに、いったいどこからどこまでが10月の出来事だったのか、良くわからない自分がいました。改めて手帳を見ると、10月は思い出会、KID’S DU、稲刈り、サイクリング、ハロウィーンと、予定が盛りだくさん。一日一日がとても濃く、また、だいだらぼっちも私自身もバタバタした月でした。予定以外のところでは、生活に慣れてきた余裕から色々なことにも挑戦した月でした。とにかく「思い立ったが吉日」で行動し、本当に暮らしを満喫していました。こどもたちの企画力も鍛えられてきて、日々楽しいことがたくさんあります。

『何気ない日常』になった、だいだらぼっちでの暮らし

ここでの生活に慣れ、暮らしを楽しんでいたのですが、ふと立ち止まってみると、「当たり前の毎日」に慣れ、「だいだらぼっちでこどもたちと一緒にすごしている」という意識が薄い自分に気づきました。反省です。ただこどもたちと暮らしているだけではなく、『だいだらぼっち』でこどもたちと過ごしている意味を改めて考えます。また、振り返りの中で、宿題や洗濯、当番の仕事がうまくできない子とは関わることが多いけれども、一人でできる子との関わりはそこまで多くなかったかもしれないということも気づかされました。毎日の生活・日常であると同時に、こどもたちの教育現場であるだいだらぼっち。ここで暮らすということを心に留めて、でもその上でのびのびと生活していきたいです。



11月に向けて

11月のテーマは「腹をくくる」です。何に対してかは色々ありますが、一番は「言う」ということ。昨年バイト先の職員の先生に言われたことです。「こどもと友だちになるためじゃなくて、その子の将来のために働いてるんでしょ」言われたときは、衝撃でした。でも本当にそのとおりだな、と思います。今は良い顔をされなくても、その子のことを考えて。最近の私にそれができていたとはいえません。腹をくくってこどもたちと向き合う。本当は一年の始めからすることだとは思いますが、改めての決意です。「タイミングを逃さないこと」と同じように、自分の中で大切にしていきたいです。




□ 研修担当のりのふりかえり 

スタッフ・のり10月のあしもは自分の考えを行動に移し、色々なことに挑戦できたようでした。良くも悪くもこどもたちは自分の周りにいる大人の背中をみて、育っていきます。その意味でもこどもたちの身近にいるあしも自身が色々なことに挑戦して、本当に暮らしを満喫できたことは、とてもよかったことだと思いました。

そしてそんなだいだらぼっちでの暮らしが日常化したこともとてもよかったことだと思います。日常である暮らしの中にこそ学びがあるのです。暮らしが非日常であるうちはこどもたちの本当の姿はみえないものです。こどもは時に私たちが思う以上にたくましかったり、強かったり、頼もしかったりします。当然また、逆に、思う以上に弱かったり、ずるかったりもします。そんな日常の素の部分で垣間見られるこどもたちの姿をしっかりと見て、個々に応じた関わりをしていってほしいと思います。

だいだらぼっちはこどもも大人も、「1年間家族という仲間になって、共に暮らす」ということを決意してきた者が集まって、暮らすことに挑戦していく場です。誰かが何かを教えてくれる場でもなければ、誰かが責任を取ってくれる場でもありません。1年間の暮らしを自分たちで創りあげる楽しさと大変さを体感してほしいと思います。

そして、ぜひ、「腹をくくって」この1年の暮らしをこどもと共に創りあげる楽しさを味わってほしいと思います。




 11月あしも研修報告

みんなで思案した11月暦

月初めにだいだらぼっちでは「月暦」というものをとります。学校行事や個人の予定を書き出したら、やらなければいけない事とやりたい事を出して、今月はどういうふうにみんなで過ごそうか、と予定を練ります。11月は月末に祭りが控え、12月には穴窯も控え、毎週の休日はもちろん、平日も準備で大忙し。でもやりたいこともいっぱいある、遊びたい!という気持ちもおさえきれません。「じゃあどうする?」とみんなで考えます。自分のやりたい事はもちろん、仲間のやりたい事がどうやったら実現できるだろう?とみんな真剣に考えます。日程的に難しそうならば「なんとかここで薪作業がんばって、この日空けられないかな?」という意見が出たり、「先にこれを終わらせておくから、この日行ってもいい?」とお願いがあったりします。共通して言えるのは『自分で時間を生み出す』ということ。やりたいもののために頑張るということ。仲間のチャレンジと頑張りを応援するということ。こども達のこういう姿は本当にすごいなあと思わされます。

芸能発表会に参加して

6月ごろから村の太鼓教室に通っているのですが、先日その発表会がありました。演目は2曲。でも私はまだ覚えていないので、きちんと叩いたのは1曲でした。間違えることもありましたが、楽しかったです。大学のゼミで『町おこし』について考えることがあり、私も非常に興味のあるテーマなので、こうして村の方々と関われる場をもてたことは嬉しかったです。外からの人を集めて活性化することではなく、元々のそこに住む人々が活力を取り戻して生き生きする事が本当の『活性化』だと私は思っています。だいだらぼっちがある「田本地区」は地域の行事も多く、おじいちゃんおばあちゃんもとても元気です。その気概はどこから生まれているのか、生まれてくるのか、本当に興味深く、是非機会があれば村の色々なところに行って、顔を出してお話が出来たらいいなあと思っています。太鼓の練習も頑張りたいです。

だいだらぼっちまつり

月末にだいだらぼっちまつりがありました。まつりについての話し合いが始まって、実際の開催までにものすごいドラマが幾度となく繰り返されました。一度は「このままでまつりをやれるのか?」という話し合いになり、苦しい時間を過ごしました。「やりたい」ことだったものが、いつのまにか「やらねばならないもの」になっていることもありました。それでもまつりを開催し(開催中も色々あり、波乱万丈でしたが)無事に終わる事ができたのはよかったです。こども達の中にもなにかしら残るものがあったのではないかと思います。不安があった劇もみんなラストスパートをかけて、本番とても楽しんでいました。閉幕したあと、幕の後ろからやりきったこども達の歓声があがったのが印象的でした。




□ 研修担当のってぃーのふりかえり 

スタッフ・のり 11月のあしもは、自分の中でこれまでの反省を振り返り、『言うべきところは声に出して伝えていく』ということを目標に頑張っていました。祭りという一大イベントがある中、だいだらぼっちのこどもたちは、色んな壁にぶち当たって、寄り道をして、たくさんの問題と直面してきました。そんな中だからこそ、寄り添い、その目標通り少しずつ、しっかりと言っていくことができたようです。一緒に暮らしていく中で、思っていることを素直にしっかりと伝えることはこどもも大人も多かれ少なかれ、勇気がいります。それが、言いにくいことであればあるほど、たくさんのエネルギーが必要です。それを少しずつ乗り越えようとしていく姿は、自然と周りに伝わっていくはずです。相手のことを想い、考えたことは必ず伝わります。1つしっかりとした目標を立てて頑張ったことは、あしもにとって、大きな自信につながったのではないでしょうか。

また、村の人たちと関わっていく場面が増え、村の行事にも積極的に参加していくことで、村の人たちの暮らしも身近なものになっていったようです。厳しい山村の暮らしをその知恵と気持ちで乗り越えてきた人々のことを知り、交流していくことで、あしもにとって新たな学びと、楽しみが増えて、嬉しく思います。

だいだらぼっちの日常の中、村の暮らしと関わっていく中に、色んな学びや発見がたくさんあります。それに気づくか気づかないかは自分次第です。ぜひ残りの日々を大切に、小さな学びを見逃さず、チャレンジしていってほしいなと思います。あしも、最後まで一緒に頑張っていきましょう!!




 12月あしも研修報告

待ちに待った穴窯

1学期にはガスで温度を上げていく『ガス窯』で焼き物を経験しました。同じ焼き物ですが、2学期は薪でたく『穴窯』にだいだらぼっちのこども達とチャレンジしました。日ごろから薪がまの素晴らしさ楽しさを聞いていたので、憧れはつきません。作品作りにも熱が入りました。昨年からの継続組みが中心となってレクチャーをしてくれたり、必要な薪を用意したり。準備が着々と進んでいくにつれて、みんなの気持ちも盛り上がっていくのがわかりました。金曜日の夕方にみんなで火入れをしました。一人一文字にして思いを書きました。みんなの思いを知り、こんなにたくさんのあつい思いが詰まっているんだなあと改めて身がひきしまる思いと共に、これから始まる窯たきにわくわくしました。なかなか温度が上がらずに日曜の夜までかかりましたが、最後にやっと目標の温度を達成したときのこども達の達成感にあふれた表情と歓声は忘れられません。3学期には登り窯は穴窯よりさらにスケールが大きい窯です。とても楽しみにしています。

薪の暮らしの原点、山仕事

「もう少ししたら山仕事に入るよ」と聞いて、全くぴんと来ない私がいました。言葉のまま捉えることはできても、その内実までは全く予想できませんでした。普段何気なく使っている薪。それはもちろんもとは森に生えていて、生きていて。それを切って使わせてもらっているんだ、という意識はあるものの、ゴミの行方と同じように、今までの私にはファンタジーの世界でした。実際に山に行って作業する事になってみて初めて知った事、気づいた事、学んだこと、感じたことがたくさんあります。また、思い知ったのはその作業が人にとっても森にとってもほかの動植物にとっても大事だということ。だから、という訳ではないでしょうが、その作業はとても大変なこと。一歩間違えれば命を落とす場になりえるということ。自然に対して人間がしっかり向き合い、共に暮らしていく原点なのだなあと感じます。今回はあんじゃねの森という村の旧学遊林に道を作るための作業でした。木を倒し、斜面を切り崩し、道を作ります。私がやったのは倒した木を処理して、片付けて次に進むこと。単純な作業ですが、丁寧にやればあとが楽になります。また、作業をしながら色々思いめぐり、昔は便利な道具がない中で、木材を出すということはどれだけの労力と技術を費やしたのだろうと考えると、頭があがりません。みんなで処理したところをショベルカーがガーっと削っていき、あっというまに道ができあがってしまいました。あまりのあっけなさに、すごいなあという思いと、それと同時に、機械の無情の恐ろしさを感じました。人が考えて使う大切さを改めて意識しました。

これからに向けて

4月から始まって3月の終わりまで残すところあと少しになり、改めて残りの生活に対する気持ちが入り直しました。その中で私がこれから大切にしていきたいことはこども達と過ごす時間です。今年度が終わったらこのメンバーでいられるのは二度とないかもしれません。こども達との時間を大切に、一人一人とのかかわりを大切にしていきたいと思います。また、自分も締めくくりになるので、ここでの学びを整理し、自分の糧にしていけるよう考えていきたいです。




□ 研修担当かおるこのふりかえり 

スタッフ・かおるこ12月は、あしもにとって大きく2つの出来事があったようです。1つは「穴窯」であり、もう1つは「山仕事」です。どちらも、東京での暮らしではできないことであり、あしもにとっては多くの驚きや発見があったようです。人は、体験から多くのことを学びます。あしもにとって、穴窯や山仕事を体験できたことは、これから教育現場に立ち多くのこどもたちと接する時、必ず力になる体験であったと思います。

だいだらぼっちで暮らす時間も、残り2ヶ月となりました。そこで私は、「あしもだったら、どんなだいだらぼっちにしていきたい?」という質問をしました。すると、「あいさつをする暮らし」という答えが返ってきました。
「ありがとう」「ごめんね」「お願いします」「ちょっと時間に遅れちゃう!」など、ちょっとした「あいさつ」をきちんとすることが、人と関わること、自分を表現すること、相手の気持ちを理解することに繋がるのではないかということを話してくれました。そして、あいさつをすることで相手の気持ちに「気づく」ようになり、それを積み重ねることで、「相手への気遣い」に変わっていくのではないかということを感じているようです。そうやって、人ときちんと関わる、相手のことを想いやることのできる、優しい暮らしを創っていきたいのだと話してくれました。
そんな暮らしを創るために、あしもがこれから2ヶ月頑張ることは?と質問すると、「自分がきちんとあいさつをする」ということと同時に、「こどもたちが自分からあいさつができるようにサポートすること」を頑張ると答えてくれました。自分がどうなりたいのか?どうしていきたいのか?をきちんと自分に問いかけて、「じゃあ、それを実現するためにはどうしたら良いのか?」を考えることはとても大切なことです。
あしもが自分の考えたことを実行に移し、3月にこの研修が終わる頃には「目標を達成できた」と実感できるよう、私もサポートしていきたいと思います。

 2011年度のメンバーで暮らせるのは、泣いても笑っても残りあと2ヶ月。この2ヶ月を大切に、丁寧に、そして多くの学びを得られるように、暮らしの中で精一杯こどもたちと、そして自分自身と向き合ってほしいと思います。がんばれあしも!!





 1月あしも研修報告

こどもたちとのかかわり

毎日こどもたち全員と関わるように意識しよう、と1月はひそかに思っていました。16人もいるだいだらぼっちのこどもたち。はじめは大変かなあと思いましたが、意識してみると案外普通に関わっているもんだなと気づきました。学校から帰ってきたこどもに「おかえりー」と声をかけるところから始まって、夕飯を食べてお風呂に入って、「おやすみなさい」と各自が部屋に帰っていくまで。『16人も』いると思っていましたが『16人しか』いないのだと実感しました。それでも1日に1人と関われる時間を考えればごくわずか。あと少しだからこそ、1人1人との関わりを大切にしていきたいです。

だいだらぼっちの「家」という考え方と「こどもを預かる責任」のバランス

こどもたちと暮らしていて考えることはたくさんありますが、どう接すればいいのかと考えることが多くあります。だいだらぼっちの良さでもあるでしょう「家」という考え方と、保護者の方から、社会から「こどもを預かっている責任」のバランスはとても難しいです。こどもを信じて任せる、といってもそれは放任ではなく見守る目はいつもそばにあります。
どこまで任せていいのか、どこまで任せられるのかの見極めはとても難しいです。その子との日常のコミュニケーションの中でその幅が大きく変わってきます。自分の力量によっても、どこまでさせてあげられるかが違います。こどもたちの活動を広げることには自分の幅を広げることも大切なのだなあと改めて思います。そういったこととは別に「こどもを預かる責任」が常にあります。ポイントを押さえ忘れないこと。見えないところでセーフティネットを張っておく意識は重要です。だいだらぼっちの「家」という雰囲気の中で薄くなってしまうこともありますが、常にこのことを胸に留めてすごしたいと思います。

残りの期間に向けて

色々な思いがあっても、やらなくてはいけないこととやるべきことの折り合いがなかなかつきません。でも残りあと少し。欲張って貪欲にいきたい気持ちもあります。時間を無駄にしないためにも、意識して自分で時間を作っていきたいです。あとは自分のもっているもの(仕事、役割、やりたいこと)を整理して、簡潔に行うこと、時間をかけないこと。また、瑣末な事柄に心を奪われないで、気持ちを前向きに、残りの2ヶ月をめいっぱい過ごしたいと思います。


□ 研修担当なおみちのふりかえり 

スタッフ・なおみち16人もいるこどもたちを「16人しかいない」と言うあしもは、個性やそれぞれの心をよく理解し、こどもたちの近くに存在できているのだと思います。あしもは、こどもたちが苦しい時も楽しい時も、はなれずに支えてくれました。そうしながら、どんなことも乗り越えてきた仲間との暮らしを「あたりまえ」にし、「16人しかいない」と思える日常をつくってきました。
だいだらぼっちの相談員は「暮らし」と「仕事」が背中合わせであり、そのバランスの難しさも感じているあしもですが、それこそが生きる面白さでもあり、自分の腕のみせどころだということにも、気がついています。経験してきたことの全てを自分の力に変え、前を向く強さが備わってきました。
 私たちは、他人同士が寄り集まって1年間を約束した「家族」です。でも、他人は他人です。では、こどもの暮らしや育ちに責任をもつのは誰なのでしょう。自分の人生に責任をもつのは自分自身であると、私は思います。その心を育てることが、私たち関わる大人の役割だと考えています。一方で、そばで一緒に暮らし、直接的に命を守る役割は重い責任ではありますが、これは表裏一体のもので体の一部のようなものです。それは、家でもよそでも変わらないものであり、そばにいる大人として担わなければならないものだと思います。自分がどうこどもを守っていくのかを考え、動いていくことはあしもの言うとおり「責任」を考える大切なことです。
しかしまた、こども一人ひとりの今後の人生を思う時、私は家族・他人・預けている側・預かっている側といった立場を越え、人として関わる「覚悟」を持っていたいと思います。人生の大切なこども時代に関われることの幸せをかみしめて、あしもらしい愛あふれる先生になってください。ずっと応援しています。




 2月あしも研修報告

登り窯を終えて

2月はものづくりの集大成「登り窯」がありました。1学期から積み重ねてきたガス窯、穴窯の経験が生かされます。一人一人が作る陶芸の作品も個性豊かで、それぞれが自信作を登り窯に入れていました。4月の初めに粘土の練り方を教えてもらい、ぎこちなく輪積みをしていたことが遠い昔のような気がします。『ものづくり』という側面だけでなく、水曜日からみんなで協力して当番に入って薪をくべたり、窯の中がどうなっているか話し合ったり、お互いの体力や技術を配慮する場面から、今まで一緒に生活してきた仲間とだからできることなのだなと感じました。
登り窯の感想はとにかく面白かったです。何が面白かったのかというと、自分たちで考えてそれを実行してみることが第一、やってみたことで良い結果が出てさらに面白くなります。私は小学校の理科の勉強をしていたこともあって、窯の温度を上げるためにどうするか考えるときに、酸素量、薪の量、燠の様子や煙突の様子など一つ一つに理科が深くかかわっていることがとても魅力的でした。理科離れといわれていますが、やはり生活に密接にかかわっているものだと思うし、こども達にこの面白さを伝えたい、と強く思いました。
また、同じ現象を見てもそれぞれとらえ方や、表現の仕方、そこからの考え方が全然違うことも面白かったです。「炎がごーとなったとき」「炎が下からふおーって出てきてて」窯の中の様子を見て薪を入れるタイミングをはかります。その表現も人それぞれ。一緒に炎を見て「これ!これがごーってかんじ!」と共有できて初めて伝わります。まさに百聞は一見にしかず。でもきっと本当は窯だけじゃなくて、色々な場面で伝わりきっていないことって多いはずです。自分の考えを人に伝える、人の考えを受け取るってことは大変だけど、とても大事なことだと思います。窯焚きでは小さな気づきもみんなで大切にして考えます。「登り窯」を通して改めて「話すこと」の大切さを感じました。

たくさんの学びがあったワークショップ

2月の後半にワークショップがありました。何を気にすることもなく、参加者になって生活を楽しむことができたのがよかったです。ほかの参加者のみんなが普通に当たり前に接してくれるのがとても新鮮でした。ワークショップではまずカルチャーショックの連続でした。キャンプで相談員さんたちと話す中で、泰阜の生活が自分の中に消化されていることは感じていましたが、ワークショップはいつも自分が暮らしている場所での生活だったこともあって、いつもの「あたりまえ」がより際立って見えました。一番の驚きは、ほかの参加者の驚き、感動、反応の一つ一つと同じことを私も1学期に言っていたと思い出したことです。いつのまにか泰阜での暮らしが私の「当たり前」になっていて、自分の学びに気づいていませんでした。ワークショップを通して、抽象的で言葉になっていなかった自分の中のものに気づき、拾い集めて整理し始めることができました。とても濃い4泊5日でした。参加してよかったです。 




□ 研修担当ぱるのふりかえり 

スタッフ・ぱるだいだらぼっちの登り窯を、「ものづくりの集大成」というあしも。それは、技術的な側面だけではなく、仲間との協力、1年近く共に過ごしてきた仲間だからこそできる気遣い、あうんの呼吸。様々な要素が全て結集して始めて成せる行事だからです。その要素がうまくかみ合うように、陰日向で支えることに徹したあしもの実践は、これまでの「こどもの暮らしを支える」体験の集大成でもあったのではないかと思います。
また登り窯を「理科」の視点から捉え、「この面白さを伝えたい!」と実感したことは、ものの見方、価値観が変わる大きなきっかけとなったのではないでしょうか。私も、焚き火で焼き物を焼く野焼きを初めて体験した後、縄文土器を見て、これまで何の興味も疑問も沸かなかったところが、「どうやってこんな大きなものを見事に焼き上げたんだろう!」と縄文人の技術に感動した瞬間を鮮明に覚えています。今学校で学んでいる「知識」は、実は目に見えていなくとも生活に深く関わり、必要だからこそ学んでいるのですが、結果的に導き出された、完成された「答え」だけを学ぶ学習では、面白みも何もありません。体験から学んだ人自身が、自分の言葉で語って初めて、その熱意を通して本質がこどもに伝わるのです。「ホンモノの面白さ」を体感したあしもだからこそ伝えられることを、将来伝えていってほしいと思います。

またワークショップでは、これまでの10ヶ月が「こどもを支える」縁の下の力持ち的な役割だったところから、一参加者として参加し、同世代の仲間と語り合ったことで、新鮮な発見が多々あったようです。体験からの学びは、人に話して言葉に落とされることで、次につながる強みとなります。なぜなら、言語化されることで明確なものとなり、自信が持てたり、外に発信できたりして、それがまたさらなる学びを得ることにつながるからです。
3月は締めくくりの時期。貪欲に体験しつつ、それらを言葉に落とし、次につなげる足がかりを、少しずつ自分で形にしていってほしいと思います。そうすることで、新たなるステージに登れるはずです!一緒にがんばっていきましょう!



 3月あしも研修報告

全く実感がないまま引継ぎ会と解散へ

こどもたちと毎日を過ごす中で「あと何日だねー」という話は前からしていました。「みんな帰っちゃうんだねー」「本当に終わりなんだよ」という言葉も口にしていたのですが、私自身はこどもたちがいるのが当たり前で、いなくなるということに全く実感が持てませんでした。引継ぎ会が終わって、各々が部屋の片づけを済ませて、いざ「〇〇が帰るよー!」という場面ですら、忘れ物の心配をしていまいち落ち着けない自分がいました。夜になって部屋がすっからかんになって、少しさみしい気もしましたが、次の日にはみんなは学校に行っていて夕方帰ってくるような気分でした。
一年間の最後に思ったことは、本当に自分たちのやってきたことがこどもたちにも出るんだなあということです。「こどもは親の鏡」とよく言いますが、それだけこどもたちも周りの環境を大人たちをよく見て吸収しているのだろうと思います。一挙一動が直結することもあれば、雰囲気から伝わることもあったでしょう。だからこそ「大人」という立場の私たちがこどもたちと接するときには難しさやある程度の責任があるし、それが同時に面白さにもなるのだと考えます。教育実習やバイトで言われてきたことがやっとつながり、大きな気づきになりました。

あっというまの1年間 〜4月からを振り返って〜

3月の引き継ぎ会で2010年度の引き継ぎを見て、ただ「仲が良い」だけではないこの関係性はすごいなぁと思いました。1年が終わったら自分達もこんな風に引き継ぎ会をするのかなぁと漠然と思いました。キャンプののりで元気だった1学期。私自身もだいだらぼっちのことがいまいちよくわからず、毎日翻弄されました。お互いのことが色々見えてきてごまかすこともできなくて、話し合いが続いた2学期。1番期間が長いからこそ逃げ道もなく、イベントも盛りだくさんで大忙しでした。気が付いたらだいだらぼっちのこどもたちがいること、やっていることが「当たり前」で、彼らの存在を「こども」として見なくなっていた三学期。私の中で「こどもたちとの暮らしから学んだこと」というよりは「彼らと生活して学んだこと」になっていました。これは本当に不思議な感覚で自分でもうまく説明できないのですが、1年間の生活でそれだけの関係を築けたのだろうか?というかんじです。また考え続けていきたいと思います。
4月から始まって、3月なんて想像もつかない遠いことだったはずが、気がついたら夏休みが終わり、冬休みが終わり、あっという間に引き継ぎ会でした。過ぎていった1年はあっという間でしたが、一つ一つを振り返ると一1年間に収まりきらないほど濃い毎日でした。
まだまだ1年間の学びは私の中に堆積しているだけで、私自身が気づいていないこともたくさんあります。これから地元に帰りますが、少しずつこの学びを整理し、いずれはこども達に社会に還元していきたいです。最初は不安もありましたが、参加してよかったです。1年間たくさんの方々にお世話になりました。ありがとうございました。



□ 研修担当しんのふりかえり 

スタッフ・しん「こどもは親の鏡」。あしもが今までの経験とこの一年間の暮らしから併せて学んだことは、この言葉の実感でした。「教え方」や「何を得られるか(どんなスキルが身に着くか)」ばかりに注目してしまう時代ですが、実はこどもたち(あるいは大人も)、学ぶのはその内容よりも、教えてくれる人の姿勢や価値観、考え方であったり、周囲にある人や物、出来事であることが多いのです。学校の授業で、ある教科が好きだったり、嫌いだったりするのも、実は教えてくれる先生の教科に対する情熱に比例することもあるのではないでしょうか。
キャンプの際、学生ボランティアがこどもたちのトラブルにぶつかると「こんな時、どうすればいいですか?」と困惑して聞いてきます。「自分自身が正しいと思うことをやってみて」と私は答えるようにしています。結局はどんな大学で学ぼうと、教員免許をとろうと、教え方や手法がこどもを育てられるわけではありません。その人自身の「人間力」しかないのです。
だいだらぼっちという暮らしを共にし、良いことも悪いことも共有する生活では、一緒に暮らす仲間や大人の「人となり」がすべて現れてきます。このことを気づいたあしもは、きっと私たち大人の心がこどもたちに表れていることを感じてきたのだと思います。結局、伝え方や話し方ではない。大人の生き様なんだと。

「あっという間の一年」と「当たり前の日常」。一年間、16名のこどもたちと暮らすこと、田んぼや畑、薪の暮らし、陶芸で自分の食器を作ること、自然とつながる山村の暮らし…。東京での暮らしと見比べれば、ありえない出来事に驚きと発見の連続だったものも、一年という時間を重ねれば、「当たり前」になってしまいます。しかし元の生活に戻った時に、この「当たり前」が実は当たり前でなかったと知覚し、きっとこの一年の意味や学びが明確に言霊となって、あしもに語りかけてくるのだと思います。
人は人として完成することはありません。毎日の暮らしと経験から学び続けようとする姿勢が「人間力」を育てます。この一年を足掛かりに、さらにさらに人として大きく成長していってほしいと願っています。あしも、一年間本当にありがとう、そしていってらっしゃい!


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