NPO法人 グリーンウッド自然体験教育センター





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代表だいちのGREENWOODコラム


2012年9月1日
20年目の夏


 今年の夏は、20回目の夏の山賊キャンプでした。ということは、私が泰阜村に来て20回目の夏を迎えたことになります。大学を出て右も左もわからぬまま泰阜村に来て迎えた1回目の夏キャンプは、ひと夏でこどもが100人足らずの参加。学生ボランティアも10数人程度でした。
今や、ひと夏でこどもが1100人、学生ボランティアは350人も集まる国内有数の規模のキャンプに成長しました。
キャンプで消費する野菜もほとんどが泰阜村の農家が栽培してくれます。村の小学生を招待することも恒例となりました。昨年からは福島のこどもたちを招待し、それを村民が支えます。キャンプが果たす社会的役割は様々にあります。その役割に常に挑戦できる時代になりました。たかがキャンプ。されどキャンプです。

 泰阜村に来て20回目の夏を迎えたということは、私はこの村に来て20年目になるということです。私がこの村に来た4月、村に二つあった中学校が統合されて新中学校ができました。それが泰阜中学校です。開校を記念して、校門までの道に植えられた桜の木。9月1日に、中学校のPTAの作業がありました。その作業で桜の木の間伐も行いました。
私も間伐作業チームに加わりましたが、この20年間こどもたちを見続けてきた桜の木を切る瞬間は灌漑ひとしおです。切り倒された桜の木を、中学生がえっちらおっちらとリレーで運びだし、その薪は暮らしの学校「だいだらぼっち」の燃料としていただきました。20年という年月の積み重ねで培われた、泰阜村に流れる見事な「教育の循環」です。


そして8月下旬。12回目のKids’ AUキャンプをモンゴルで行いました。Kids’ AUキャンプとは、北東アジア6か国(モンゴル、ロシア、中国、韓国、北朝鮮、日本)のこども交流キャンプのことです。NPOグリーンウッドの理念「違いを豊かさへ」をそのままに、国際交流キャンプを志向したのがもう12年前。日本国内の仲間と、地道に理解と信頼を積み重ねてきて培ったアジアの仲間とともに、1年に1回、12回目のキャンプです。
大人の世界はいろいろあるけれど、こどもは理屈抜き思い切り遊んで、身体で平和を感じてほしい。モンゴルの大草原で、言葉も通じずに、ただただ同じ釜の飯を喰って、ただただ遊びました。全く違う文化や背景を持ったこどもたちが、お互いを理解しようと必死になって遊ぶ。そして言葉が通じなくても仲良くなっていくことを、この目で見続けてきました。
言葉の通じない相手の瞳や唇、身振り手振りを、食い入るように目凝らして見つめ、相手がいったい何を伝えようとしているのかを、自分の感覚を総動員させて理解しようとする姿勢。逆も同じで、自分の感覚を総動員させて、なんとかして想いを伝えようとする視線。そんな姿勢が、相互理解をするうえでは必要なんだと思います。Kids’ AUキャンプでは、改めてそのことを感じることができました。

同じことは、被災地との関係にもいえることです。
福島のこどもたちを招待することは2年目になりました。泰阜村の人びとが身の丈にあってできる支援です。言葉やイメージに左右されず、自分の想いをなんとかして届けること、相手の想いをなんとかして理解しようとすること。この丁寧な営みを抜きにして、豊かな関係は創れないと想うのです。
 そして今年、キャンプ招待だけではなく、福島と泰阜村の少年野球交流も実現しました。この後、福島と泰阜村の泰阜中学校生徒会交流も実現できそうです。

22歳でこの村に足を踏み入れ、気付けばもう42歳。
泰阜村での20年目の夏は、いくつかの点において、節目の夏となりました。

このコラム、今年度に入って更新頻度が下がりました。私が主に執筆する、震災支援ブログで毎日筆をとっていることもあります(そちらのブログ(東日本大震災支援 地域の教育力を発揮するプロジェクト)もぜひ見てください)。申し訳ありません。ぼちぼち進めていこうと思いますので、よろしくお願い申し上げます。      (代表 辻だいち)



2012年2月13日
この熱を広げたい 〜 拙著が重版決定!! 〜



 私の拙著「奇跡のむらの物語 〜1000人の子どもが限界集落を救う!」が出版されてはや2ヶ月が経ちました。全国の地方で地域再生に取り組む人びと、子育て真っ最中のお父さんお母さん、学校内外の教育関係の人びと、震災に直面して生き方を考え始めた若者、NPOで食べていこうとする人びとなどを中心に、多くの注文をいただき、2月20日にめでたく重版となりました。
 想定していた読者層に読んでいただけていることに喜びを感じます。また、多くの人びとから、読後感をいただき、改めて本という形にしてこの25年を世に問うことの重要性を感じることができました。お読みいただいた皆様、本当にありがとうございました。
 また、1月には暮らしの学校「だいだらぼっち」25周年記念パーティーを開催させていただき、地元泰阜村の人びとはもちろん、だいだら卒業生や保護者の皆さんなどあわせて200名が泰阜村に集いました。この四半世を支えていただいた皆さんに、本という形でその四半世紀の足跡を報告できたことは、感慨深いことでした。お集まりいただいた皆様、本当にありがとうございました。
 この本の裏方さんを紹介します。出版社(農文協)側の担当者は蜂屋基樹さん。宮城県塩竈市のご実家が東日本大震災で津波の被害に遭いました。写真やデザインを担当したのは、デザイナーの吹野木綿子さん(ふきの編集事務所)。そして大好評の表紙イラストを担当したのは、イラストレーターの山中正大さん。皆、私より若い30代前半の人たち。若い力が私の拙著を土台から支えてくれました。
 多くの人に支えられた拙著を、読売新聞、中日新聞、信濃毎日新聞、福島民報など、多くの新聞や雑誌でも紹介いただいています。ここでは、日本教育新聞と、日本農業新聞の書評を紹介します。

日本教育新聞
「協働が生む村に回帰の教育」

 過疎の村に子どもたちの声が響く、それだけで村が元気になる。かつて短期山村留学を仕掛けた地元の人たちからこんな思いを聞いた。だが熱い思いがあったとしても継続させていくことは難しいという現実が一方にはある。
 本書が紹介する山村留学はとてもパワフルだ。舞台は長野県下伊那郡泰阜村。25年前に仕掛けたのは、地元の人たちではなく、「ヨソモノ」のNPO法人グリーンウッド自然体験教育センターの若者たち。「山村」「教育」「NPO」の「金にならない3点セット」が常識を覆す。村人を巻き込み、全国の若者を巻き込み、活動自体が活性化し、発展していく。
 村の暮らしの学校「だいだらぼっち」から、文科省・農水省連携事業の「子ども長期自然体験村」事業を契機に、村人との協働がスタート。村の住人を山賊に見立てる「信州子ども山賊キャンプ」には、夏と冬の長期休暇中、人口1900人の村が、千人を超える子どもと300人を超える青年ボランティアリーダーでにぎわう。村人自身も加わって、「案じることはない」という意を持つ、「あんじゃね自然学校」が生まれ、運営のかじ取りを話し合う会議「あんじゃね支援学校」で大人たちが学び合う。
 「村を捨てる教育」から、村に回帰する教育へと大きく変貌する様子がわかる。今、教育に何が足りないか、痛感させられる快著。



日本農業新聞 
「山村留学で価値見直す」

 東京から高速道路を使って5時間以上もかかる長野県泰阜村で、1986年からある特定非営利活動法人(NPO法人)が山村留学を始めた。エコロジーとう言葉もなかった時代、この村の環境こそが子どもたちを健やかに育むと信じて活動をスタートさせた。本書は、NPOメンバーの25年間にわたる活動を振り返ったノンフィクションだ。
 全国から村に集まった子どもたちは、共同生活を送りながら、自分たちで田畑を耕し、食事を作り、薪で五右衛門風呂を沸かす。山や川で遊び、時には村の猟師が罠で捕まえたイノシシの解体に立ち会う。なんとも不便で、そしてこれ以上にないほどに贅沢だ。読むほどに、ここで暮らし、学ぶ子どもたちがうらやましく思われてくる。
 「わしゃ、そこにある山をどかしてほしいと、いつも思っていた。不便だし・・・中略・・・でもな、都市の子どもと触れ合うことで山の持つ価値がわかった」
 当初、活動に懐疑的で非協力的だった住民も、徐々に自分たちの持つ財産に気づき始めた。子どもたちが目を輝かせて戯れる川、空、星、田んぼ、そして村人の知恵。子どもたちと触れ合う村の老人たちは「限界集落ではなく“現役集落”」と胸を張る。
 今では、村とNPOが一体化、さまざまなプロジェクトを立ち上げるが、その信頼関係は一朝一夕に築かれたものではない。
不便で、何をやるにも時間がたっぷりかかる。それでも、こんな素敵な村をつくれるなら悪くない。日本全体が立ち止まり、自分たちが進む道を感がるべき今、この本から学ぶことは多い。




 読んだ人びとの口うつし、手うつし、読みうつしで、ぼちぼち広がってきました。それに呼応するように、北海道、滋賀、福井、鳥取、東京など各地から、そして地域再生、子育て支援、NPO経営、地域づくり、学校教育など各分野から、講演の依頼が相次いでいます。
 今まさに、暮らしの学校「だいだらぼっち」の母屋の薪ストーブを背にして、このコラムを書いています。ちょうど1年前に拙著の第一稿を同じ状況で執筆していました。背中に浴びる熱は、確かに泰阜村の里山から、地元の人びとのご協力をいただき、だいだらぼっちのこどもたちが引きずり出した間伐材を、ひたすら割ってできた薪が燃やされて、産み出されている熱です。暮らしの中にこそ学びがあると信じ続けた熱、苦しい時こそこどもの教育に情熱を注いできた熱です。
 25年かけて蓄熱されたこの熱を、拙著を通して、閉塞感漂う日本社会に投じていきたいと想います。本質的な教育改革は、へき地から始まります。      (代表 辻だいち)




2012年1月4日
取り戻せ!「支えあい」の文化


 2012年を迎えました。今年1年よろしくお願い申し上げます。

 さて、すでにご存知の通り、NPOグリーンウッドでは、暮らしの学校「だいだらぼっち」に福島県と千葉県の被災児童2名を受け入れています。信州こども山賊キャンプでも、今夏のキャンプで福島県(いわき市、福島市、伊達市、郡山市、二本松市、田村市、鮫川村)のこどもたち47名を招待しました。

 NPOグリーンウッドは、泰阜村が大事にし続けてきた「支え合い」や「お互い様」を土台にした支援活動をめざしてきました。泰阜村のような小さな地域が、東日本の小さな地域を支えます。そしてそれは、東日本のこどもを支えるだけではなく、被災していない日本全国のこどもの未来を支えることにつながります。震災支援を通して、隣の人の気持ちに耳を傾けることの本質、隣の人と共に生きるために違いを認め合いつつ「支えあう」ことの本質を、教育活動を通してこどもに伝えていきたいと強く思い続けてきました。

 この小さな村に住む人々が、厳しい山岳環境と向き合って生き抜いてきた暮らしの営み、そして暮らしの文化に秘められた教育力を、被災地への支援のために発揮します。パワーのある大都市から被災地を支援するという大容量的な支援というものもあるわけですが、小さな地域だからできる等身大の支援がきっとある。そう信じて、泰阜村の1900人のひとびとは支援を続けてきました。

 暮らしの学校「だいだらぼっち」で受け入れる2人の被災児童の受け入れ費用は、泰阜村行政が支援します。村の小中学校は2人が安心して学習できる環境を整え、村の住民はどこまでもやさしい瞳で守り続けます。
 「夏の信州こども山賊キャンプ」では、福島県のこどもたち47人の食べる野菜や米は、すべて泰阜村の人々が提供しました。こどもたちが福島と泰阜を往復するバスの費用は、泰阜村行政が支援。こどもたちの参加費用は、泰阜村の住民をはじめ、全国の大学生や心ある人々が、募金活動をして集めてくれました。

 泰阜村のみなさんとも協議して、今冬のキャンプにも福島県のこどもたち18名を招待することになりました。1月4日現在、雪のふりしきる泰阜村で、こどもたちは想いっきり山遊びを楽しんでいるところです。

 昨年の大震災は悲しく苦しい歴史ではありますが、それは同時にこの国が失いつつあった「支えあい」の文化を取り戻し、ささやかな希望を改めて紡いでいく挑戦の始まりでもあります。私たちは教育活動を通して、こどもを核にした支援活動を今年も続けていきます。支援は長期に続けなければ意味がありません。
冬のキャンプ招待費用に充当することを目的とした「あんじゃね震災支援基金」を再度立ち上げ、現在支援金を募っているところです。皆様におかれましては、支援活動の想いと支援金募集について、ぜひともご理解ご支援をいただけますようお願い申し上げます。 (代表 辻だいち)




2011年11月27日
奇跡のむらの物語


 11月27日。私が1年かけて執筆してきた本「奇跡のむらの物語 〜1000人のこどもが限界集落を救う」が発売されました。私のすべてをかけた渾身の作品です。
 この本は、人口1900人の泰阜村の風土や文化から導き出した教育力によって事業を行い、支え合いの地域作りに挑戦してきたNPOグリーンウッの25年の歴史と実践をまとめたものです。
「自然の力」「村の暮らしの文化の力」「こどもの力」を信じ抜いて実践してきた教育活動。その25年の実践から、これからの教育に必要なセンスを、私なりの視点でこ導き出したものを綴ってもいます。
また、「山村」「教育」「NPO」という、誰がどう考えても食えない活動を、ソーシャルビジネスとして成立させた軌跡(奇跡)も綴られています。
 そして、若者・ヨソ者が始めた教育活動が、いまや泰阜村を支える土台になりつつある軌跡(奇跡)も綴られています。
 これから地域づくりを行おうとする地域の人々(行政も含めて)、子育て中の親や教員などこどもに向き合う人々、新しい生き方を模索する若者に、ぜひ手にとって読んでいただきたいと強く願っています。
 1年かけて書いてきましたが、執筆中に東に本題震災があり、発行が遅れに遅れました。しかしそれはむしろ、震災支援に取り組んだ半年間が、この本で一貫して語られる「支えあいの文化」を言葉で表現することを可能にさせた時間にもなりました。
 昨年12月の本コラムで(もう1年も前のことなのですね)、次のように記しました。
「四半世紀にわたって続けてきた教育活動の意義が、村の人たちを含めて市井の人たちに伝わるかのか。そして伝わるような噛み砕いた言い回しができるのか。私たちの揺るぎない強い意志と磨かれた言葉の力が試されます」

 一文字一文字の小さな力を侮るなかれ。私が渾身の力を振り絞って産み出しだ言葉には、この本の題材にもなる泰阜村の人びとの壮絶な暮らしの営みと、私の人生を支えてくれる多くの人びとの歴史が流れています。
 私が書いた言葉ではありますが、泰阜村1900人の人々と暮らしの学校「だいだらぼっち」の卒業生、保護者はもちろん、これまで私たちを支えていただいたすべての人々が産み出した言葉なのです。
どうか、この想いをご理解いただき、ぜひともご購入いただきご一読いただけますようお願い申し上げます。また、できることならば、手にとった皆さまからも友人、知人などに広くご紹介いただければ幸いです。

 NPOグリーンウッドのHPに購入のサイトを開設しました。送料が無料になるようです。ご活用いただければ幸いです。
   ⇒ http://www.greenwood.or.jp/syoseki/page001.htm
 もちろん、amazonなどのネット書店や、全国の書店でも注文できます。よろしくお願いします。
長野県大手の信濃毎日新聞にも紹介されました。ご高覧いただければ幸いです。
   ⇒ http://www.shinmai.co.jp/news/20111130/KT111129SJI090008000.html

ようやく25年です。土台ができてここからがおもしろくなりそうです。奇跡のむらの軌跡。どうぞご一読ください。                                                            (代表 辻だいち)




2011年10月15日
学ぶとは誠実を胸に刻むこと


 10月。大きなできごとが重なりました。
10月3日〜7日まで、「Kids’ AUキャンプ2011 in JAPAN」を福井県の三方五湖を中心に開催してました。2001年から私たちグリーンウッドが主導して日本で始まった、北東アジアのこどもたちの自然体験活動による交流キャンプは、2005年と2009年には韓国で、2006年から2008年までモンゴルで連続3回開催、そして昨年はわが泰阜村で開催、と、強い意志を持った大きなうねりとなっています。
 福井県の自然を舞台に、言葉が通じない6カ国の子どもたち50人が、見事に仲良くなっていく場をこの目で見ました。湖をわたる風、日本海の潮騒、子どもの多国籍な歓声、各国の伝統料理が作られる瞬間、みんなでオリジナルの唄をつくる時間から、「平和の音」がたしかに聞こえました。
 小さな小さなアジアのこどもたちが、福井県の風土と仲間たちとの交流から多くのことを学ぼうとしています。

 10月8日〜10日まで、沖縄県名護市で開催された「自然体験活動指導者全国フォーラム」に参加してきました(参加者は180人)。私はなぜか「自然環境保全と地域活性化」分科会の座長を任され、全国の取り組みを紹介しながら意見交換を促進しました。
 特に、ヤンバルクイナが生活できる環境を守り抜いてきた集落(国頭村安田集落)の壮絶な歴史は、本質を守り抜きながらも現実的に生きていくという、ともすればわれわれが失いかけているものを呼び覚ます取り組みでした。
マングースや捨て猫・犬によって絶滅の危機に瀕して山の奥へ奥へと逃避行をしているヤンバルクイナが、なぜこの集落では人間と共生していけるのか。それは、たった200人の集落が、市町村や県、国顔負けの自治を行っているからです。
 衝撃的なことは、この集落の人々が、全国から集う人々の気持ちからまだまだ学ぼうとする姿勢でした。

 10月13日〜15日まで、隠岐島(島根県)の海士町というところからお呼びがかかり行ってきました。
この町には高校(隠岐島前高校)があります。高校生の3割は、島留学として全国から集まってきた若者たちです。この高校を、島ならではの体験学習を充実させることはもちろん、学力のうえでも充実させることをもくろんでいるようです。
 私の役割は、島の高校生たちに、この島の可能性を伝えることです。見離されてしまったような絶海の孤島だって可能性があるぞって。いや、絶海の孤島だからこそ可能性があるぞって。泰阜村というへき地山村で18年間、身体を張ってその教育力を形にし続けてきた私の出番です。
 高校1年生と2年生に、泰阜村の事例を紹介しつつ、私が福井(高校)から札幌(大学)、そして泰阜村(社会人)と歩んだ人生について話をしたり、自分の強み×島の強み=島の仕事づくり、というテーマで島の希望を語りました。
 驚いたことは、高校生が真剣だったということだけではなく、授業が終わった後に、私の泊まる宿舎まで相談にきたある高校生1年生のことです。島の高校生が興すビジネスモデルについてです。大人顔負けの考えをもつ彼らに、正直なところ脱帽です。絶海の孤島の高校生がチャンスを逃さず学ぼうとしている姿、とても美しいと想いました。

 言葉が通じなくとも、アジアのこどもたちが学んでいく姿。
逆境にありながらもなお、学び続けようとする沖縄の人々や隠岐島の高校生たち。

 その姿を見て、フランスの詩人ルイ・アラゴンの言葉を想い出しました。

 「学ぶとは誠実を胸に刻むこと」

 1943年11月、中仏オーヴェルニュ地方においてストラスブール大学の教授、学生が銃殺され、数百名が逮捕される事件が起きました。大学は、戦火と弾圧を避けて、ストラスブールからクレルモンという地に疎開し、再びこの地で開学したそうです。彼がこの悲劇の最中にその心境を唄った「ストラスブール大学の歌」の中の言葉です。青年への虐殺が繰り返される絶望的な状況に陥ってもなお、学ぼうとする青年が多数いたということ。

 誠実とは、「私利私欲をまじえず、真心をもって人や物事に対すること(大辞泉)」ということのようです。
困難なときや、逆境のときに、果たして真心をもって人や物事に対することができるのか。しかし、それができたときに大きな学びがあるということなのでしょう。

 10月15日、私は隠岐島を離れました。さまざまな出会いがあったこの2週間。私もまたこの出会いのなかで、素直になり、真心をもって人や物事に対することができたのかもしれません。実に大きなそして多くの学びを胸にして、泰阜村に帰ることができます。    (代表 辻だいち)




2011年9月5日
この不思議で奇妙で必然の縁 〜命日に脱稿となりました〜


 以前このコラムでも紹介しましたが、現在、晩秋に出版される本の執筆の大詰めを迎えています。大詰めも大詰め、今日が脱稿の日です。
 出版される本には、泰阜村の風土や文化から導き出した教育力によって事業を行い、支えあいの村づくりに挑戦してきたNPOグリーンウッドの25年の歴史と実践がまとめられています。

 25年前にヨソモノがどのように過疎山村に入ったのか。
 何を大事にして村の人びとから信頼されるようになったのか。
 そこに生まれた苦しさや葛藤は何だったのか。
 若者の職場をどうつくって運営・経営しているのか。
 その教育実践が社会に果たす役割は何なのか。
 そんなことが私の言葉で赤裸々に綴られています。

 この本は私が執筆したのですが、8ヶ月もかかってしまいました。
 実は夏には出版される予定だったのですが、執筆の最中に東日本大震災が発生し、スケジュールが頓挫してしまったのです。ひとつには震災により紙が流通しなくなる恐れがあり出版業界に慎重ムードが漂ったこと、もうひとつは出版社の担当者のご実家(宮城県塩竈市)が津波の被害を受け、それどころではないという雰囲気に陥ったこと。そしてもうひとつは私たちNPOグリーンウッドが本腰を入れた震災支援活動のため、私自身が執筆に時間を割けなかったことです。

 言い訳はさておいて(笑)
 泰阜村において四半世紀にわたって続けてきたNPOグリーンウッドの教育活動。その教育的意義、そして社会的意義が、果たして市井の人々に伝わるのでしょうか。そして、伝わるような噛み砕いた言い回しができるのでしょうか。
 私たちの揺るぎない強い意志が試されています。磨かれた言葉の力が試されています。
 一文字一文字の小さな力を侮るなかれ。私が渾身の力を振り絞って産み出しだ言葉には、この本の題材にもなる泰阜村の人びとの壮絶な暮らしの営みと、私の人生を支えてくれる多くの人びとの歴史が流れています。

 今日9月5日、ようやく脱稿の運びとなりました。実際はまだまだ作業は積み残していますが、本文原稿はこれで私の手から離れます。
奇しくも今日9月5日は、三年前に他界した親父の命日でもあります。
 私の親父の生まれ故郷は、朝の連続ドラマ「ちりとてちん」の舞台となった福井県小浜市の、山沿いに近い小さな集落です。親父は集落の青年団長に始まる長年の青年団活動から国政に身を転じ、常に青年や大衆といった弱者の立場に依拠した政治活動を進めてきました。また、世界一の原発集中立地といわれる若狭地域選出の政治家として、原発の安全性についても一貫して警笛を鳴らし続けてきました。
 小さな田舎から大きい視点で社会を変革しようと生き続けた親父と、その親父を支えた名もなき大衆の未来に懸ける想い。私の身体にはその歴史が流れています。
 親父がこの世を去った日に、私が渾身の力をその文字に込め続けた本が産み出されることは、不思議で奇妙で、それでいて必然の縁を感じます。
 私も、ほうっておけば吹き飛びそうなへき地に身をおき、子どもたちや青年への教育に力を入れてきました。大局的な視野を持ちつつ、小さくとも社会を変える原動力となるような取り組みを強い意志を持って進めていきたい、そんな想いをこの本に込めています。

 晩秋に「社団法人農山漁村文化協会」から出版予定です。ご期待下さい。

 まずはこの場をお借りしまして、この執筆活動を支えていただいた皆様に深く御礼申し上げます。ほんとうにありがとうございました。

 今日は、私を支えていただいたすべての人びとに感謝の気持ちを抱きつつ、脱稿のお祝いも兼ねて一献傾けながら亡き親父と会話したいと想います。  (代表 辻だいち)




2011年8月15日
私のこどもたちへ 〜だいちからフクシマのこどもに贈る唄〜

 この文章は、東日本大震災から5ヶ月目の8月11日付で「グリーンウッド震災支援ブログ」に掲載した私の記事です。すでに紹介された記事をこのコラムでもう一度紹介するということ、しかも8月15日に改めて紹介するということは、私の強い気持ちのあらわれです。ご容赦ください。

 私は18年前、泰阜村に来ました。当時まだ22歳。右も左もわからない若造です。それまで札幌にある大学生でした。出身は福井県。高校から大学のときに、北陸から北海道へ。何が自分を北に向かわせたのでしょうか。
 北陸と北海道で、私は、あふれるほどの自然の恵みと、すばらしいひとびとに出会いました。体育会の運動部に所属して「あきらめない気持ち」を鍛えられ、人と向き合うことを学問とする学部で「人間らしさとは何か」を学び(授業は全く出てませんでしたが!)、北海道の山々や田舎を訪ね歩きながら「自然と人間の共生」の重要さを心に刻みこんできました。
 いつしか、自分が学び取ったことを、未来を生きるこどもたちに、自分のすべてを懸けて伝えようと思うようになり、体育の教員となることを目指すことになりました。
 しかし、教室の中だけが教育の場だろうか、と疑問に思いました。まずは教室の外の学びの場を経験したいと強く思い、出会ったのが泰阜村でした。

 18年前に、暮らしの学校「だいだらぼっち」のこどもたちと生活し始めましたが、その当時からよくギター片手にこどもたちと歌っていました。それまでどちらかというとニューミュージック系の曲ばかり弾いていましたが、泰阜に来て衝撃的な唄との出逢いがありました。
 私の先輩であり当時代表の村上忠明さん(キャンプネームはむさし)がよくこどもたちに弾いたり、何気なく1人で弾いたりしていた曲に惹きつけられ、以来「これだ!」と自分でも弾くようになりました。
 当時の信州こども山賊キャンプに来ていたこどもたちに向かって、キャンプ最終日に必ずこの唄を歌い、その想いを伝えてきました。当時、暮らしていた「だいだらぼっち」のこどもたちも耳にタコができるほど聞いたことでしょう。そして、薪ストーブを囲んでいつもこどもたちといっしょに歌っていました。 私は自分の息子の子守唄としても歌っています。

 その唄を紹介します。



 ♪ 生きている鳥たちが 生きて飛びまわる空を
   あなたに残しておいて やれるだろうか父さんは
   目を閉じてごらんなさい 山が見えるでしょう
   近づいてごらんなさい こぶしの花があるでしょう

   生きている魚たちが 生きて泳ぎまわる川を
   あなたに残しておいて やれるだろうか父さんは
   目を閉じてごらんなさい 野原が見えるでしょう
   近づいてごらんなさい りんどうの花があるでしょう

   生きている君たちが 生きて走りまわる土を
   あなたに残しておいて やれるだろうか父さんは
   目を閉じてごらんなさい 山が見えるでしょう
   近づいてごらんなさい こぶしの花があるでしょう ♪


 曲名は「私のこどもたちへ」といいます。
 泰阜村の自然を次の世代まで残せるのでしょうか。いや、残すのがわれわれ大人の責任で、その気持ちや自然の大事さをこどもたちに伝えたいと一所懸命歌ってきました。
 今日、8月11日、東日本大震災から五ヶ月目です。
 一ヶ月目の4月11日、宮城県南三陸町の歌津中学校にいました。
 二ヶ月目の5月11日、東京の出版社との打ち合わせの場でした。
 三ヶ月目の6月11日、琉球大学に呼ばれて沖縄にいました。
 四ヶ月目の7月11日、再び被災地宮城県にいました。
 そして、今日、8月11日、五ヶ月目にして初めて、泰阜村で迎えました。

 明日、8月12日で、フクシマのこどもは全員、泰阜村を離れます。
泰阜村の自然の中で、青い空と満点の星空をみあげて深呼吸をし、透き通る清流で心ゆくまで魚を追い、顔にべったりと泥がつくほど転げまわったフクシマのこどもたち。
 私は、その泰阜村に住む大人として、この唄をどうしても「きみたち」に贈りたい。
 泰阜村に来て、震災であれだけ猛威をふるった自然が、本当はとてもすばらしものだということを、その小さな身体に刻み込んでいってもらえただろうか。
 泰阜村に来て、フクシマでは接触を断たれつつある自然が、本当は私たちにかけがえのないものを教えてくれるものなのだということを、その小さな心に刻み込んでいってもらえただろうか。
 泰阜村に来て、これからどんなに過酷なことに直面しても、生き抜くための「支え合いの気持ち」を、その小さな手に握ってもらえただろうか。
 たった4日〜1週間のキャンプでは、何も変わらないかもしれません。でも、「きみたち」が過ごした泰阜村の土には、このきびしい山岳環境のなかで支えあいながら生き抜いてきた泰阜村のひとびとの、自然と共存する壮絶な歴史と日々の暮らしの営みが流れているのです。
 その歴史と営みを受け取った「きみたち」は、きっと強くなれる。そう強く信じています。その「信じる想い」を載せた唄です。
 この曲の作詞者は岐阜県中津川の方で、唄はマスメディアなどではなく手渡し口うつしで伝わっていくものと常々言っています。ずっとお会いしたいと思っていて、5年前に一度泰阜村でライブをやっていただきました。もう高齢だそうです。やはり手渡し口うつしで、自分がぼちぼちギターを弾いて、唄っていきたいと思います。
 作詞者は「笠木透」という人です。

震災5ヶ月目の日に、フクシマのこどもたちに贈ります。 



そして8月15日。敗戦の日に、そして東日本大震災で犠牲になられた方々の初盆に、全国の未来を生きるこどもたちへ贈ります。     (代表 辻だいち)




2011年8月6日
タイガーマスクからフクシマ、そしてヒロシマへ 〜「核」から「支え合い」へ〜

 覚えていますか。今年は「タイガーマスク」から始まったことを。日本全国に「善意の嵐♪」が吹き荒れたことを。

 今年1月7日、年頭にあたり、このコラムに書いた文書から下記を引用します。

 善意。なんともくすぐったく聞こえる言葉です。でも小さな小さなその善意を侮ることなかれ。小さな善意といえどもそれが集まれば、日本海がよみがえり、閉塞状況の日本を打破する雰囲気を創る原動力にもなるのです。全国のタイガーマスクによって「支え合い・助け合い」の善意を受け取った児童養護施設のこどもたちは、きっとゆるやかにそしてたくましく自立していくのだろうと確信します。
 今年は、「世のため人のため」(もしかして私語に近いでしょうか)に、ほんの少しといえども発揮される善意を促していきたいものです。それを教育の立場、しかも「支え合い・助け合い」の文化が今なお息づく小さなへき地山村における小さな教育実践の立場から促すのが私たちの役目である、と1月7日に改めて強く思いました。

 そして3月11日。未曾有の東日本大震災・そして福島原発大人災です。日本中が「支え合い」「助け合う」ことが試されました。
 そして私たちNPOグリーンウッドも、「支え合い・助け合い」の文化が今なお息づく泰阜村から、小さな教育実践を通して「世のため人のため」に動くことが試されています。
 今こそ、「支え合い」「助け合う」小さな村・泰阜村が、東日本の小さな地域を支えるのです。小さな地域が小さな地域を支える。いいじゃないですか。大きな都会が小さな地域を支える一方的な支援の限界は見えています。国道も信号もコンビニもない泰阜村。そんな弱い村が束になればいいのです。

 私たちNPOグリーンウッドは、泰阜村行政や教育委員会、村の住民の皆さん、そして泰阜村を応援する村外の支援者の皆さんとともに、被災したこどもを暮らしの学校「だいだらぼっち」に長期で受け入れることや「信州こども山賊キャンプ」に招待することを決めました。
しかし、南信州で「だいだらぼっちに受け入れますよ」「山賊キャンプに招待しますよ」と叫んでいても、被災地からこどもがやってくるわけではありません。ただでさえ、親子が離れることに大きな不安を抱いている被災地の人たちです。一時期とはいえ、こどもを手離すことにはさらに大きな不安を抱くのは当たり前のことです。大事なことは、被災地の人たちと信頼関係を構築することです。
 私は福島、宮城、岩手と、何度被災地に足を運んだことでしょうか。自分の持てる時間を相当つぎ込んだと想います。命と時間を削って被災地の人たちと対話を重ね、相互理解を通し、信頼を積み重ねていきました。
 暮らしの学校「だいだらぼっち」に三人の被災児童を受け入れているのはすでにご紹介しているとおりです。
「信州こども山賊キャンプ」に招待しているのは、福島県いわき市、郡山市、田村市、二本松市、鮫川村のこどもたち50名です。
往復の送迎バスを担当する村教育委員会、こどもたちの野菜やお米を寄付する村の人びと、このキャンプを応援する村外にいる泰阜村ファンなどが、小さな財(気もち、食料、お金、時間、労力・・・)を持ち寄って、まさに「泰阜村総動員」で被災したこどもを支えます。
信州の小さな村が、東日本の小さな集落を支えます。しかも長期的に。「共助」と「支えあい」の泰阜村、本領発揮です。出番です。

 泰阜村とNPOグリーンウッドは1995年、阪神大震災の被災児童を3年間という長期にわたり受け入れました。(のべ4人)、その被災児童が1997年の福井重油タンカー事故の時には私と一緒にボランティアに駆けつけ重油を掬いました。2005年には中越地震と福井豪雨の被災児童をやはりキャンプに招待しました。キャンプボランティアに駆けつけたのは阪神大震災で受け入れたこども(当時大学生)です。
 時を超えて、被災したこどもが被災したこどもを支えます。距離を越えて、小さな山村が北陸や東北の小さな地域を支えます。
 この素晴らしい16年の縁が、「お前、被災したこどものためにキャンプをやれ」と言われているようでなりません。私は、なにがなんでもこのキャンプを成功さ、フクシマのこどもたちに自然の素晴らしさ、人と人のつながりの素晴らしさ、そして生きぬくための「支え合い」の気持ちを伝えたい。もちろん、山賊キャンプに参加する全国のこどもたちにも。

 8月6日現在、福島県いわき市のこどもたちが、泰阜村の自然と人情に包まれて、思い切りキャンプを楽しんでいます。
今年はタイガーマスクから始まりました。その「善意の嵐♪」はフクシマに向かっています。そして今日、ヒロシマの日。「支え合い・助け合い」の文化が今なお息づく泰阜村から、小さな教育実践を通して「世のため人のため」に動くことが、必ずや平和に連なっていくことを願います。
震災支援は、決して被災地への支援だけではありません。従来、日本社会、特に小さな農山漁村が持っていた「支え合い・助け合い・お互い様」の構造を、もう一度紡ぎ直し、再び安で平和な暮らしを創るという、広義でいう日本社会再生の取り組みなのだと思います。
 フクシマとヒロシマは、決して「核」でのみつながるのではありません。「核」による平和から「支え合い」による平和へ。ヒロシマの日にもう一度、この国が大事にしてきた「支え合い」の気持ちを紡ぎ直し、平和に向けて思いを巡らせましょう。  (代表 辻だいち)




2011年7月20日
講演・講義に東奔西走! 〜何に向き合う夏なのか〜

 東日本大震災から4ヶ月。この間、私は震災支援のために、まさに東奔西走でした。時間と命を削ってきた感があります。詳しくは、NPOグリーンウッドの震災支援ブログを見てください。
 その震災支援と同じくらい、というか併行して東奔西走してきたことがあります。講演・講義です。今年も全国のあちこちからお呼びがかかりました。NPOグリーンウッドの25年の教育活動の実績を普及することも私の役割の一つです。
 すでにお伝えしている立教大学の非常勤講師で「自然と人間の共生」という授業を前期間受け持ちました。泰阜と大学=往復10時間を、毎週1回通い続けたのです。始まってみると1週間に一度の日が巡ってくるのが早いこと早いこと。授業が終わったら、すぐに次の授業の準備をしなければなりません。しかも、学生さんの数は2コマあわせて、420名超! これだけ多いと、伝えること自体にものすごい体力を使い、2コマ終わるころにはヘトヘトです。
 東京までたいへん遠い泰阜村に住んでいると、東京に出たときが人と会ったり用件を入れるチャンス。授業がある日は、3限目(新座キャンパス)と5限目(池袋キャンパス)の2コマあるので、完全に1日がつぶれてしまいます。翌日東京で各種打合せ、ついでに震災支援関係の打合せで東北に行ったり、他の講演で地方に飛んだり・・・。
6月には「読売教育賞60回記念シンポジウム」において優良事例として登壇。琉球大学からは「ミラクル熟議in琉球」において全国の特徴的取り組みとして同じく登壇です。7月には「三遠南信教育サミット」においても南信州を代表する事例として同じく登壇しました。
立教大学と三つの講演はいずれも、NPOグリーンウッドが大事にしてきた「泰阜村の暮らしの文化に内在する教育力」を反映した教育実践が評価されたものです。
 他にも安全管理やリスクマネジメントの関係で、6月には沖縄(さきほどの琉球大学とは別日程)と北陸福井には2回、7月には長野県松本まで足を運びました。もちろん、泰阜村のPTAの皆さん(私もですが)に夏のプール開放に備えた救命救急の講習も! 私たちの安全管理の底力が他の地域にいきるのかも試されました。
 この講演・講義の合間に東北に5回も行っているのですから、身体がいくつあっても足りない思いです。丈夫に産んでくれたおふくろに今更ながらに感謝します。
 そして同じ時期に大詰めを迎えた出版執筆(泰阜の風土や文化から導き出した教育力によって事業を行い、持続可能な地域作りに挑戦してきた25年の歴史と実践をまとめたもの)ですが、震災支援と講演・講義のダブルの東奔西走では筆が進むわけもありません。出版社の担当者には本当に申し訳が立ちません。
 7月20日、立教大学の最後の授業が終わりました。毎週の上京が終わりほっとしたのでしょうか、その日の夜、泰阜村のバレーボール大会で足首に大ケガをしてしまいました。骨折に近い症状では、動くに動けません。
 時間と命を削って東奔西走してきたこの4ヶ月。足首の大ケガを機に、まさに足元をしっかり見つめろ、ということなのかもしれません。
 この夏は泰阜村で、走ってきた4ヶ月が産みだした震災支援の動きをしっかりと形にし、同じく走ってきた25年の成果をしっかりと文字と文章にすることに向き合う夏になりそうです。
つまりは自分としっかり向き合う夏です。 (代表 辻だいち)




2011年6月23日
自然と人間の共生 〜福島市のこどもを山村留学で長期受け入れ決定〜


 今年は、毎週東京に通っています。立教大学で非常勤の講義(2コマ)を受け持つことになったからです。科目名は「自然と人間の共生」。へき地山村:泰阜村に住む人々が営む自然と共存する暮らしや、その暮らしを大事にした教育活動を紹介しながら、今求められる自然と人間の関係性を考えるのが目標です。
 今回は、ゲストスピーカーとして、泰阜村の猟師の方を連れて行きました。彼の生い立ち、仕事、趣味、人生観、自然と向き合う作法、獣害と人間の罪など、訥々とした語り口と、鹿の角や本物の罠などを見せたり実演したり。学生さんは完全に引き込まれていました。
 学生さんの感想(リアクションペーパー)には「自然を利用させていただくという謙虚な考え方が必要という言葉が印象的だった」「自然には元に戻る力があるという言葉が心に残る」など多くの心を揺さぶられる表記があり、山村で泰然と生き抜く人の生の声から、特に東日本大震災で浮き彫りになった人間と自然との関係性のあり方を、深く考えるきっかけになったのだと思います。
 当の猟師さんは「普通の暮らしを話しただけだけど、伝えたいと想っていたことがけっこう伝わるもんだな。またやってもいいな」と次に向けてやる気満々です。泰阜村が持つ教育力、そして村の風土に育てられた猟師の方の持つ教育力が、学生に向けて発揮された講義でした。私も感動しました。

 この「村の教育力」を、今回の東日本大震災の支援に発揮させようじゃないか、そう強く想ってはじめたことが、NPOグリーンウッドの震災支援プロジェクトです。自然と人間の関係性のあり方、助け合い支えあいながら生きてきた暮らし、厳しい時こそこどもの教育に力を注ぐ気風・・・、すべて被災地に送り届けたいものばかりです。
 大学の講義の後、この猟師の方と一緒に福島に入りました。NPOグリーンウッドが行う被災児童招待キャンプ(福島県のこども40人)の打合せのためです。地震、津波、原発事故、風評被害・・・、直面したことのない脅威にさらされて戸惑う小さな地域が東北のあちこちにあります。泰阜村の教育力を、今こそ発揮すべきと強く想うのです。
 忘れ去られがちですが、今日6月23日は沖縄・慰霊の日。組織的沖縄戦の終結の日です。今日も沖縄の平和祈念公園では戦没者追悼式が行われているのでしょう。戦争の本質は、より弱いものが犠牲になる負の連鎖です。今回の震災でも、そういうことがないように、生産性がない、効率的ではないと切り捨てられてきた小さな山村から、いつの世も常に犠牲になるこどものために、声をあげ、行動を起こしたいものです。
 
 その行動の一つがこれです。
 6月13日から、暮らしの学校「だいだらぼっち」に1人の仲間が増えました。来年の3月まで、暮らしの学校「だいだらぼっち」に福島市の被災児童を受け入れることになりました。
 風向きにより、放射線量が高い福島市や郡山市。そこに住むこどもたちの状況はのっぴきならない状況のようです。土に触ることを、草花に触ることを「止められ」てしまうこどもが、10年後、20年後にどのような成長を遂げるのか、本当に心配になります。
 福島市からきたこどもは「一番やりたいことは、思いっきり川遊びをしたい」と、はっきり言っていました。そう、思いっきり川遊びのできるきれいなきれいな川を、次の世代に残すのが今の大人の責任です。彼女の言葉に、次世代への警告、そして叫びを感じます。
 暮らしの学校「だいだらぼっち」のこどもたちも、彼女を仲間として迎え入れてくれました。女の子たちは、クッキーを作って歓迎したようです。この女の子の中に、被災して千葉から参加する女の子がいます。被災児童が被災児童を歓迎する。こどもの本質的な力を改めて感じる瞬間です。
 実は会長のカニさん(梶さち子)と仲間のギック(大越慶)は、福島の出身です。不思議な縁を感じます。25年前に福島からこの泰阜村に根をおろしたカニとギック。時を超えて今、彼らが創った暮らしの学校「だいだらぼっち」に、福島のこどもが参加します。
 
 泰阜村の自然の力、地域の人々の力、こどもの力、歴史の力・・・。泰阜村の力が総動員されて、福島市のこどもをあたたかく包み込みます。

 震災支援を通じて思います。自然と人間がどういう関係であるべきなのか、を。これからの時代に、しっかりと考え、伝えていかなければならないと改めて思います。
(代表 辻だいち)



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