2010年10月1日
『10月1日 村に120人もの女子大学生が来た! 〜質の高い協働(パートナーシップ)が始まりました〜』
2ヶ月ほどコラムの間があいてしまいました。書きたいことは山ほどあるのですが、筆が進みません(筆というより今は打ち込みですね)。反省です。 今回は、泰阜村と都市部の大学、村民の皆さん、そして村内NPOが力を合わせて実施した事業についてお伝えしたいと思います。 10月1日、女子大学生120人あまりの歓声が泰阜村に響き渡りました。こんなに多くの女子大学生が一度に村に来たのは、村始まって以来とか。この女子大学生は愛知県豊明市にある名古屋短期大学の1年生全員です。 実は名古屋短期大学(以下、“名短”とします)とNPOグリーンウッドは実は深い縁があります。NPOグリーンウッドが実施する主催事業「信州こども山賊キャンプ」の青年ボランティアリーダーとして、名短の学生さんがたくさん参加してくれているのです。参加といっても、大学側の正規授業の一環で、学生さんたちは山賊キャンプにボランティアリーダーとして参加することが大学の単位となるというものです。まさしく民学協働ですね。 このような協働がもうかれこれ8年くらい続いているのです。そこで、名短の茶谷という先生から1年半くらい前に相談がありました。毎年1年生全員が参加する秋のフィールドワークがある。学生がグループに分かれて地域の農家などに半日程度お邪魔し、農家の皆さんの人生体験などの聞き取りを通して社会性やコミュニケーションの土台を育むというもの。これまでは長野県東北部の地域で実施していたが、様々な理由がありもう少し名古屋に近い地域で実施できないか考えていた。名短とNPOグリーンウッドは長年、良質なパートナーシップ(協働)を築いてきている。そこでフィールドワークを泰阜村で実施できないものか、というのが相談の中身でした。 フィールドワークが年に一度という頻度であること、日帰りの活動であり受け入れ農家にとっての負担が少ないということ、そして何より女子学生が村にたくさん来ること?(笑)という3つのポイントで、直感的に「ぜひ泰阜村で実施しよう!」と考えました。しかし、25年地域に根ざしてきたとはいえNPOグリーンウッドが受け入れ家庭20〜25家庭を適切に選んだり調整できるものか?と自問自答しました。そこで、NPOグリーンウッド単独で引き受けるよりも、村の人々と実行委員会を組織した方が意味があると判断したのです。 実行委員会を組織するのは、NPOグリーンウッドと村内のもう一つのNPO「グリーンツーリズム研究会」、そして泰阜村役場です。研究会は村の壮年層が中心のNPOで、登山道の整備や修学旅行中学生のホームステイの受入、森林整備(間伐)などなど、泰阜村の知恵と技の固まりのような方々が多彩な活動をしています。みな顔見知りの方々ですが、NPOグリーンウッドと研究会が本格的に協働するのはそういえば初めてなのです。NPOグリーンウッドは村外の人々を村に連れてくるのが得意。研究会は村内の人々を調整したり村内で活動するのが得意。それぞれの得意を合わせれば、フィールドワーク受け入れの質が高まるのではないかと考えたのです。 昨年夏から、泰阜村役場が事務局、研究会が受け入れ家庭の調整、NPOグリーンウッドが大学との調整、といった役割分担をして進めてきました。実行委員会の名は「ファミリービレッヂ」。女子大学生が泰阜村に来たときに、受け入れ家庭を自分の家族と思うような雰囲気にしよう!親戚の家に来たような雰囲気にしよう!という願いが込められています。実行委員会を重ねるごとに、なるほど!という知恵が集まり、あれもやろう、これもやろうと楽しい準備となりました。この準備を通して、まだまだ私たちではわからない村の人々の可能性を知ることにもつながりました。 さあ、ファミリービレッヂ当日。受け入れ家庭に5〜6人ずつ女子大学生がお邪魔をし、半日様々な体験をしつつ聞き取りが行われたようです。これまでは聞き取りが終わったら宿舎に戻っていたそうですが、泰阜村の人々はそこからが違います。せっかくなので、女子大学生と受け入れ家庭が一堂に会する大焼肉大会をやろうじゃないか、ということになり、総勢160人あまりの大焼肉大会を実施しました。村総合グラウンドのナイター照明を使い、どこから運んできたのか音響設備まで駆使し、村長まで駆けつけてくれました。NPOグリーンウッド単独ではこんなことを考えもしませんし、実行もできません。まさしく村の人々との協働の成果をいきなり体感することになりました。 女子大学生と受け入れ家庭のおじいちゃん、おばあちゃんはいわば孫みたいな関係でしょうか。「たくさんの孫ができたようでとにかく楽しかった」「こんにゃくを一緒に作ってね、子どもたち?は初めてだと大騒ぎだったよ」「意外と礼儀正しいもんだな最近の学生さんは」などなど、若者層が少ない泰阜村に住む人々にとって、本当に有意義な時間となったようです。 われわれファミリービレッヂ実行委員会からも、「来年は村の若者を実行委員にするか」「焼肉大会を青年団に運営させよう」などと、勇み足の声(笑)が聞こえるほど充実感に包まれた1日であったことは間違いありません。 実行委員会形式にしてよかった!心の底からそう思う瞬間です。提案をしたのは私たちNPOグリーンウッドです。ところが、いつのまにやら泰阜村役場もたいへん積極的に動いていただけるようになりました。研究会の方々も受け入れや準備の先頭をきって、フットワーク軽く動いていただきました。その行動力、機動力に脱帽です。 最初はNPOグリーンウッドが中心でした。でも、徐々にNPOグリーンウッドの手から離れ、最終的には(私も含めて)村民の手にこのファミリービレッヂ事業は握られました。それでいいのです。NPOグリーンウッドが培ってきた実績や経験、ネットワークを、今こそ泰阜村の持続可能性を高めるために活かすべきです。NPOグリーンウッドと名短の二者間の協働に、村役場と他NPOが加わって行った事業。協働(パートナーシップ)の質を高める。地道にゆるやかにですが、強く確かにその一歩が始まりました。 今年はファミリービレッヂだけではなく、いくつかの動きを形にします。乞うご期待! (代表 辻だいち)
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2010年7月27日
『中途半端な充実感 〜やろうとしているかどうかが大事なのだ〜』
暮らしの学校「だいだらぼっち」の1学期が今日、終了しました。長野県の夏休みは始まるのが遅いため、今日まで学校に通っていたのです。 ご存知のとおり、「だいだらぼっち」では、こどもたちが「暮らし」に真正面からぶつかり、丸ごと責任を持っています。期待と不安を小さな胸に抱き、親元を離れて泰阜村にやってきた8人の子どもたちは、自分たちで暮らしのルールを作り、1年間・1ヶ月の予定を立て、力を合わせて暮らしをまわそうとしました。田んぼを自分たちで管理し、畑で野菜を作り、焼き物でお皿やカップを作って食事に使用しました。毎日お風呂を焚き、食事を作りました。マキは山からとってきて割ります。部屋のそうじ、自分の服のせんたく、片づけ、お風呂の用意、着替えの確認、明日の学校の用意、急な弁当づくり・・・、自分のことは自分でやるということも、できたかどうかは別として(笑)、それぞれがんばってきました。 もちろん時にはつまづき、失敗し、「どうして俺たちできないんだ」と頭を抱えて悩みました。そしてそのたびごとに「じゃあどうする?」とひとつひとつ丁寧に話し合って乗り越えようと努力してきました。ウソをつき、傷つけ傷つき合って、涙を流した日もあります。ときにはズルをし、なまけて、そんな自分を許しながら、他人は許せない日もありました。他人よりちょぴりだけ多くの仕事をするのが「損だ」と思ったことや、自分が仕事をやっていて他人は休んでいるのが「ズルイ」と感じたときもあります。何度も壁にぶつかり、自分たち8人で考え、決めることを、あきらめかけた雰囲気もありました。頭ではわかっているのに、動けないときもありました。言うことはすばらしくても、行動がまるで伴わないことなんかしょっちゅうでした(笑)。 今年は、10aの広さの田んぼを、子どもたちが自分たちで管理しています。一部は完全無農薬にチャレンジしていますが、現在その田んぼは雑草だらけで周りの田んぼより明らかに稲の生育が遅れています。無農薬のチャレンジは、こどもたち同士による合意形成のもとに、こどもたち自らが出した決断です。そして1学期は、その決断に責任を持つことが試されてきました。 2001年以前の田んぼに関するコラムを引用します。
◆無農薬なので、当然雑草がどんどん出てくる。こどもたちは、この大量の草をいかにして防ぐか?そして取るのか?と頭をつき合わせて考えた。そして現段階での方針は、「平日は学校から帰ってきたらみんなで田んぼへ行く。休日はそれぞれのやりたいことのための時間を調整しあって、草取りの時間を作る」ということだ。 ◆6月20日から始まった草とり。日が長いこともあって、夕方の涼しい時間に毎日30分ほどやっている。「え〜っ、この前とったのにまた生えてるよ!」「キャ〜! カエルふんじゃった!」「タガメだっ!」と、寄り道回り道、脱線ばかりでなかなか手は進まない。この広い田んぼの草は、全部とれるのかなあ?とタメ息が出るときもある。 ◆しかし、無農薬栽培を成功させることが目的ではない。こどもたちが自ら決めた目標(自分たちで食べる米を少しでもいいから自分たちで作る。しかも無農薬で)に、チャレンジしていくこと、そしてそのプロセスを振りかえること、そこから次へいかしていくことが目的なのだ。 ◆部活で帰りが遅い子もいる。お風呂焚きの子や夕食作りの子は、どう草とりに関わるのか? 「暮らし」に真正面からぶつかることで、問題はたくさん出現する。全員が納得する「やり方」を、知恵を出し合って考えて実行していくのだ・・・(1999年6月24日「田んぼの草とり」)
そういえば1999年の子どもは10人。今年の8人と同じように、人数が少なくどうやって暮らしをまわすのかをみんなで試行錯誤する雰囲気でした。 さて、今年の8人の子どもたちは「だいだらぼっち」の暮らしを「やろう」という強い意志を持って集まってきました。とはいっても、やる気と行動はそんなに簡単には一致しないことも事実です。「やろう」とみんなで決めたことも、できる子もいればできない子もいます。しかし、「できたかどうか」は実は大事なことではありません。「やろうとしているかどうか」が大事です。 できたたこともできなかったことも多かった1学期。果たして「やろうとしているかどうか」はどうだったのでしょうか。子どもたちは、田んぼの草取りとどう向き合おうとしたのしょうか。共に暮す仲間とどう向き合おうとしたのでしょうか。「暮らし」に真正面からぶつかるといいますが、暮らしとどう向き合おうとしたのでしょうか。自分の言葉や行動に責任を持って暮らそうとしていたのでしょうか。 今年の8人の子どもたちは、どうやらまだまだ「中途半端な充実感」をその小さな胸に抱きながら、親元に帰ります。夏休み、家族にたっぷりと甘えて、そしてこれまででは気がつかなかった家族の存在のありがたさに感謝してほしいものです。 辛口が多くなりました。それにつけても、8人の子どもたち、本当にお疲れ様。よくがんばったな! 2学期はまたすごい生活をしよう! (代表 辻だいち)
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2010年7月1日
『なぜ泰阜村にいるの? 〜小さな力が負の連鎖を断ち切る〜』
自分がなぜ泰阜村のような小さな地域にいるのか、ということを、40歳を迎えて考えるときがあります。自分の生い立ちをよくよく振り返ってみると、私は「マイノリティ(少数派)」や「弱い立場」に寄り添うというか身を置くというか、どうやらそういうことをいと厭わない生き方を歩んできたように思えます。 泰阜村に来て18年がたちます。今、ほぼ確信的に思うことは、「マイノリティといわれる人々や弱い立場の人々が、胸を張って暮らしていけるような世の中にしたい」ということです。この村は、満州開拓、植林政策、減反政策、自治体合併など、常に国策によって翻弄されてきました。ここ数年、非効率・不合理の名の下に、次々と切り捨てられてきたのも、息切れしそうな山村です。国土の8割を占める中山間村は、実は日本においてはマジョリティ(多数派)です。それなのに、従来の国づくりの尺度では、「山村の住民」は圧倒的なマイノリティになってしまいます。 圧倒的マイノリティである「山村の住民」である私たちは、その立場に立たされる人々の想いを本質的に共有できるはずです。それなのに、例えば国策によって満州開拓へ千人以上の村民を送り出してしまった泰阜村では、村内に帰国の方々をはじめとした中国の文化を背負った人が存在していることを、豊かだととらえにくい雰囲気があります。すでに「山村の住民」というマイノリティである私たちが、さらにマイノリティである帰国の方々を否定してどうするのか、と常々思います。もしこの村の子どもが、弱い立場の人を否定したとすれば、村の子どもがこの村のことをばかにしているようなものです。それはまさしくこの村の自殺行為に等しいでしょう。 「より弱いものが犠牲になる」というマイノリティの負の連鎖。それを断ち切り、その状況を打開するのは教育の役割のひとつといえます。山村もそうですが、老人も、障がい者も、そして子どももマイノリティです。これまで周辺に置かれてしまった人々が、再び地域づくりや社会作りに参画できるような新しい尺度を創り出すという歴史的な役割と可能性が、山村における教育にあるように思えてなりません。 だから私は泰阜村にいて、教育活動に微力を尽くしているのだと思います。 (代表 辻だいち)
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2010年5月8日
『40歳を迎えて 私に流れる人たちと土の歴史』
4月7日。泰阜小学校の竣工式・祝賀会に、来賓として参列しました。泰阜小学校は、児童数減少を主な要因として、旧南北小学校を統合して産まれたものです。過密に悩み多くの村民を満州開拓に送り込んだこの村は、今は逆に過疎に悩まされています。4月1日現在で人口はわずかに1904人。まさに息切れしそうな村です。しかしものは考えようです。旧南北小学校の歴史は136年。「見方を変えれば、136年経過してようやく村の学校が1つになった」と祝賀会で村長が述べていました。これは至言です。地理的な条件で、南地区と北地区にそれぞれ小学校が配置されたこの村では、何をやるにも南北で調整が必要で、それはときに「南北戦争」とまで言われたといいます。「これで名実ともに泰阜村が1つになった」という思いは、決しておおげさではありません。小学校という学び舎が、地域の盛衰といかに密接に関連しているかということを、小さな地域の住民は骨身に沁みてきた歴史でした。 4月24日。泰阜小学校の最初のPTA総会が開かれました。私もなぜか初代のPTA役員(部長)となり、PTA会報創刊号作成や親子教養講座の推進に努めます。PTA総会後の、泰阜小中合同の教職員歓迎会は、多くの来賓を迎えてそれはそれは盛り上がりました。この歓迎会では私は、3人の小中学生を持つ親の一人としての参加です。 泰阜村では、住民自身が他人事ではなく自分事の想いを強くして、村の子どもの学びの場を産み出しました。不合理・非効率の名の下に、「生産性が低い」と国策によって切り捨てられてきた小さな山村が、今こそ住民自らの手で本質的な生産性を発揮しようとしています。小学校の統合は悲しい歴史でもありますが、一方で新小学校の誕生は住民自らが自律的な地域を創るという歴史の始まりでもあるのです。 連休明けの5月8日。暮らしの学校「だいだらぼっち」の子どもたちと、隣の家から借りている畑を耕し野菜を作付けました。この畑はもともとは田んぼですが、ご好意で畑として使わせていただいています。この畑の土に流れる歴史はいかほどなのかと思いが募ります。施肥する堆肥は、昨年度の暮らしの学校「だいだらぼっち」の子どもたちが試行錯誤を繰り返して生ごみから創り上げた堆肥です。畑に敷くワラも、同じく昨年の子どもたちが米作りを通して産み出したものです。暮らしの学校「だいだらぼっち」が営む歴史を身体で感じる1日です。 5月9日。同じく暮らしの学校「だいだらぼっち」の子どもたちと田んぼを耕しました。耕耘機の調子が悪く、ほとんど子どもたちとスタッフの手作業によって田を起こしました。この田んぼは、90歳になるおばあま(おばあさんの意味)から「もう米作りをする体力がない。手を入れないと田んぼが荒れていく。だいだらでやってくれないか」とお願いされ、従来手がけていた田んぼの倍の面積を手がけることになったものです。4月と5月は毎週末は田んぼ作業です。苗の管理はもちろん毎日ですが。 このおばあまは、何十年この美しい棚田を守ってきたのでしょうか。私たちがその美しい棚田を借りて米作りをするということは、このおばあまと彼女を支えた地域の人々の歴史を受け継ぐということなのだと、気が引き締まるのです。 5月8日、私は40歳を迎えました。私の歴史が40年という歳月を刻んだことになります。私に流れる人たちの歴史、私に流れる土の歴史を、しっかりと感じる1年になりそうです。 (代表 辻だいち)
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2010年4月20日
『一年間の段取り 〜夢を語り応援し合うということ〜』
今年の暮らしの学校「だいだらぼっち」は子どもが8人。少なくて寂しい雰囲気と思いがちですがそうでもありません。先日子どもたちは、1年の暮らしでやりたいことや実現したいことを出し合い、それらをカレンダーにざくっと反映していました。「1年間の段取り」とか「年暦」と言われる話し合いです。 その話し合いの成果物であるカレンダーを見てみると、あるわあるわ、よくもこんなことが思いつくな、という暮らしのアイディアや夢でいっぱいです。見るだけで実に楽しくなります。 このコラムですが、前身団体のHPで紹介していた「遊学紀」というコラムが、2001年のNPO法人化で 「GREENWOODコラム」として発展的に生まれたものです。今年は、本HPコラムでは紹介されていない2001年以前のコラムも、ランダムに文の中で紹介してみたいと思います。
◆「のぼり窯をやりたい」「ハーブガーデンを作ろうよ」「登山に行きたいなあ」「あ〜っ! 俺もそれやりたい! つけ加えてっ!」 ◆「だいだらぼっち」ではこの日、毎年年度始め恒例の「やりたいこと夢会議」があった。1年間の共同合宿生活で、やりたいことや密かに持っている夢を出し合う。自分が必ずやりぬくこと、みんなでやったら楽しそうなこと・・・。全国から集まった小4から中3までの10人の子どもたちと8人の大人たちは、いろんな夢を表現した。 ◆やりたいことや夢を語るのは、ドキドキワクワクもあって、実は何ともいえず楽しい。仲間の夢を聞くのもまたとっても楽しいものだ。自分とは違う仲間の物の見方や個性を発見し、気づいて、実現に向けてのアイディアや希望は増幅されていく。 ◆そして何といっても一番楽しいのは、これらの夢を、みんなで応援し合ったり、力を合わせたりしていくそのプロセスだ。13年前に「だいだらぼっち」では、こうやって応援し合い、当時のこどもたちの夢であった自分たちの家を、古電柱や枕木を再利用して自分たちで建てた。その後はご存じの通りである。・・・・(1998年4月5日「やりたいこと会議・夢会議」)
10年の時間が経過しても、暮らしの学校「だいだらぼっち」が大事にしているものも、そこに集う子どもたちの想いも変わりません。8人の子どもと彼らを応援するスタッフの夢が集まった今年のだいだらぼっち。ぜひ注目してください。 10年前のコラムは今後も紹介していきます。 (代表 辻だいち)
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