NPO法人 グリーンウッド自然体験教育センター





     |お問い合わせ | 団体概要 |    
NPO法人 グリーンウッド自然体験教育センター 体験プログラム 地域との協働 ねっこ教育とは? スタッフ紹介 アクセス 受賞歴・マスコミ掲載
ホーム / スタッフコラム&ブログ /  代表だいちのGREENWOODコラム / GREENWOODコラムVol.35
代表だいちのGREENWOODコラム

2010年10月1日
『10月1日 村に120人もの女子大学生が来た! 〜質の高い協働(パートナーシップ)が始まりました〜』


 2ヶ月ほどコラムの間があいてしまいました。書きたいことは山ほどあるのですが、筆が進みません(筆というより今は打ち込みですね)。反省です。
 今回は、泰阜村と都市部の大学、村民の皆さん、そして村内NPOが力を合わせて実施した事業についてお伝えしたいと思います。
 10月1日、女子大学生120人あまりの歓声が泰阜村に響き渡りました。こんなに多くの女子大学生が一度に村に来たのは、村始まって以来とか。この女子大学生は愛知県豊明市にある名古屋短期大学の1年生全員です。
 実は名古屋短期大学(以下、“名短”とします)とNPOグリーンウッドは実は深い縁があります。NPOグリーンウッドが実施する主催事業「信州こども山賊キャンプ」の青年ボランティアリーダーとして、名短の学生さんがたくさん参加してくれているのです。参加といっても、大学側の正規授業の一環で、学生さんたちは山賊キャンプにボランティアリーダーとして参加することが大学の単位となるというものです。まさしく民学協働ですね。
 このような協働がもうかれこれ8年くらい続いているのです。そこで、名短の茶谷という先生から1年半くらい前に相談がありました。毎年1年生全員が参加する秋のフィールドワークがある。学生がグループに分かれて地域の農家などに半日程度お邪魔し、農家の皆さんの人生体験などの聞き取りを通して社会性やコミュニケーションの土台を育むというもの。これまでは長野県東北部の地域で実施していたが、様々な理由がありもう少し名古屋に近い地域で実施できないか考えていた。名短とNPOグリーンウッドは長年、良質なパートナーシップ(協働)を築いてきている。そこでフィールドワークを泰阜村で実施できないものか、というのが相談の中身でした。
 フィールドワークが年に一度という頻度であること、日帰りの活動であり受け入れ農家にとっての負担が少ないということ、そして何より女子学生が村にたくさん来ること?(笑)という3つのポイントで、直感的に「ぜひ泰阜村で実施しよう!」と考えました。しかし、25年地域に根ざしてきたとはいえNPOグリーンウッドが受け入れ家庭20〜25家庭を適切に選んだり調整できるものか?と自問自答しました。そこで、NPOグリーンウッド単独で引き受けるよりも、村の人々と実行委員会を組織した方が意味があると判断したのです。
 実行委員会を組織するのは、NPOグリーンウッドと村内のもう一つのNPO「グリーンツーリズム研究会」、そして泰阜村役場です。研究会は村の壮年層が中心のNPOで、登山道の整備や修学旅行中学生のホームステイの受入、森林整備(間伐)などなど、泰阜村の知恵と技の固まりのような方々が多彩な活動をしています。みな顔見知りの方々ですが、NPOグリーンウッドと研究会が本格的に協働するのはそういえば初めてなのです。NPOグリーンウッドは村外の人々を村に連れてくるのが得意。研究会は村内の人々を調整したり村内で活動するのが得意。それぞれの得意を合わせれば、フィールドワーク受け入れの質が高まるのではないかと考えたのです。
 昨年夏から、泰阜村役場が事務局、研究会が受け入れ家庭の調整、NPOグリーンウッドが大学との調整、といった役割分担をして進めてきました。実行委員会の名は「ファミリービレッヂ」。女子大学生が泰阜村に来たときに、受け入れ家庭を自分の家族と思うような雰囲気にしよう!親戚の家に来たような雰囲気にしよう!という願いが込められています。実行委員会を重ねるごとに、なるほど!という知恵が集まり、あれもやろう、これもやろうと楽しい準備となりました。この準備を通して、まだまだ私たちではわからない村の人々の可能性を知ることにもつながりました。
さあ、ファミリービレッヂ当日。受け入れ家庭に5〜6人ずつ女子大学生がお邪魔をし、半日様々な体験をしつつ聞き取りが行われたようです。これまでは聞き取りが終わったら宿舎に戻っていたそうですが、泰阜村の人々はそこからが違います。せっかくなので、女子大学生と受け入れ家庭が一堂に会する大焼肉大会をやろうじゃないか、ということになり、総勢160人あまりの大焼肉大会を実施しました。村総合グラウンドのナイター照明を使い、どこから運んできたのか音響設備まで駆使し、村長まで駆けつけてくれました。NPOグリーンウッド単独ではこんなことを考えもしませんし、実行もできません。まさしく村の人々との協働の成果をいきなり体感することになりました。
 女子大学生と受け入れ家庭のおじいちゃん、おばあちゃんはいわば孫みたいな関係でしょうか。「たくさんの孫ができたようでとにかく楽しかった」「こんにゃくを一緒に作ってね、子どもたち?は初めてだと大騒ぎだったよ」「意外と礼儀正しいもんだな最近の学生さんは」などなど、若者層が少ない泰阜村に住む人々にとって、本当に有意義な時間となったようです。
 われわれファミリービレッヂ実行委員会からも、「来年は村の若者を実行委員にするか」「焼肉大会を青年団に運営させよう」などと、勇み足の声(笑)が聞こえるほど充実感に包まれた1日であったことは間違いありません。
 実行委員会形式にしてよかった!心の底からそう思う瞬間です。提案をしたのは私たちNPOグリーンウッドです。ところが、いつのまにやら泰阜村役場もたいへん積極的に動いていただけるようになりました。研究会の方々も受け入れや準備の先頭をきって、フットワーク軽く動いていただきました。その行動力、機動力に脱帽です。
 最初はNPOグリーンウッドが中心でした。でも、徐々にNPOグリーンウッドの手から離れ、最終的には(私も含めて)村民の手にこのファミリービレッヂ事業は握られました。それでいいのです。NPOグリーンウッドが培ってきた実績や経験、ネットワークを、今こそ泰阜村の持続可能性を高めるために活かすべきです。NPOグリーンウッドと名短の二者間の協働に、村役場と他NPOが加わって行った事業。協働(パートナーシップ)の質を高める。地道にゆるやかにですが、強く確かにその一歩が始まりました。
今年はファミリービレッヂだけではなく、いくつかの動きを形にします。乞うご期待! (代表 辻だいち)




2010年7月27日
『中途半端な充実感 〜やろうとしているかどうかが大事なのだ〜』


  暮らしの学校「だいだらぼっち」の1学期が今日、終了しました。長野県の夏休みは始まるのが遅いため、今日まで学校に通っていたのです。
 ご存知のとおり、「だいだらぼっち」では、こどもたちが「暮らし」に真正面からぶつかり、丸ごと責任を持っています。期待と不安を小さな胸に抱き、親元を離れて泰阜村にやってきた8人の子どもたちは、自分たちで暮らしのルールを作り、1年間・1ヶ月の予定を立て、力を合わせて暮らしをまわそうとしました。田んぼを自分たちで管理し、畑で野菜を作り、焼き物でお皿やカップを作って食事に使用しました。毎日お風呂を焚き、食事を作りました。マキは山からとってきて割ります。部屋のそうじ、自分の服のせんたく、片づけ、お風呂の用意、着替えの確認、明日の学校の用意、急な弁当づくり・・・、自分のことは自分でやるということも、できたかどうかは別として(笑)、それぞれがんばってきました。
 もちろん時にはつまづき、失敗し、「どうして俺たちできないんだ」と頭を抱えて悩みました。そしてそのたびごとに「じゃあどうする?」とひとつひとつ丁寧に話し合って乗り越えようと努力してきました。ウソをつき、傷つけ傷つき合って、涙を流した日もあります。ときにはズルをし、なまけて、そんな自分を許しながら、他人は許せない日もありました。他人よりちょぴりだけ多くの仕事をするのが「損だ」と思ったことや、自分が仕事をやっていて他人は休んでいるのが「ズルイ」と感じたときもあります。何度も壁にぶつかり、自分たち8人で考え、決めることを、あきらめかけた雰囲気もありました。頭ではわかっているのに、動けないときもありました。言うことはすばらしくても、行動がまるで伴わないことなんかしょっちゅうでした(笑)。
 今年は、10aの広さの田んぼを、子どもたちが自分たちで管理しています。一部は完全無農薬にチャレンジしていますが、現在その田んぼは雑草だらけで周りの田んぼより明らかに稲の生育が遅れています。無農薬のチャレンジは、こどもたち同士による合意形成のもとに、こどもたち自らが出した決断です。そして1学期は、その決断に責任を持つことが試されてきました。
 2001年以前の田んぼに関するコラムを引用します。

◆無農薬なので、当然雑草がどんどん出てくる。こどもたちは、この大量の草をいかにして防ぐか?そして取るのか?と頭をつき合わせて考えた。そして現段階での方針は、「平日は学校から帰ってきたらみんなで田んぼへ行く。休日はそれぞれのやりたいことのための時間を調整しあって、草取りの時間を作る」ということだ。
◆6月20日から始まった草とり。日が長いこともあって、夕方の涼しい時間に毎日30分ほどやっている。「え〜っ、この前とったのにまた生えてるよ!」「キャ〜! カエルふんじゃった!」「タガメだっ!」と、寄り道回り道、脱線ばかりでなかなか手は進まない。この広い田んぼの草は、全部とれるのかなあ?とタメ息が出るときもある。
◆しかし、無農薬栽培を成功させることが目的ではない。こどもたちが自ら決めた目標(自分たちで食べる米を少しでもいいから自分たちで作る。しかも無農薬で)に、チャレンジしていくこと、そしてそのプロセスを振りかえること、そこから次へいかしていくことが目的なのだ。
◆部活で帰りが遅い子もいる。お風呂焚きの子や夕食作りの子は、どう草とりに関わるのか? 「暮らし」に真正面からぶつかることで、問題はたくさん出現する。全員が納得する「やり方」を、知恵を出し合って考えて実行していくのだ・・・(1999年6月24日「田んぼの草とり」)

 そういえば1999年の子どもは10人。今年の8人と同じように、人数が少なくどうやって暮らしをまわすのかをみんなで試行錯誤する雰囲気でした。
 さて、今年の8人の子どもたちは「だいだらぼっち」の暮らしを「やろう」という強い意志を持って集まってきました。とはいっても、やる気と行動はそんなに簡単には一致しないことも事実です。「やろう」とみんなで決めたことも、できる子もいればできない子もいます。しかし、「できたかどうか」は実は大事なことではありません。「やろうとしているかどうか」が大事です。
できたたこともできなかったことも多かった1学期。果たして「やろうとしているかどうか」はどうだったのでしょうか。子どもたちは、田んぼの草取りとどう向き合おうとしたのしょうか。共に暮す仲間とどう向き合おうとしたのでしょうか。「暮らし」に真正面からぶつかるといいますが、暮らしとどう向き合おうとしたのでしょうか。自分の言葉や行動に責任を持って暮らそうとしていたのでしょうか。
 今年の8人の子どもたちは、どうやらまだまだ「中途半端な充実感」をその小さな胸に抱きながら、親元に帰ります。夏休み、家族にたっぷりと甘えて、そしてこれまででは気がつかなかった家族の存在のありがたさに感謝してほしいものです。
 辛口が多くなりました。それにつけても、8人の子どもたち、本当にお疲れ様。よくがんばったな! 2学期はまたすごい生活をしよう!  (代表 辻だいち)




2010年7月1日
『なぜ泰阜村にいるの? 〜小さな力が負の連鎖を断ち切る〜』


 自分がなぜ泰阜村のような小さな地域にいるのか、ということを、40歳を迎えて考えるときがあります。自分の生い立ちをよくよく振り返ってみると、私は「マイノリティ(少数派)」や「弱い立場」に寄り添うというか身を置くというか、どうやらそういうことをいと厭わない生き方を歩んできたように思えます。
 泰阜村に来て18年がたちます。今、ほぼ確信的に思うことは、「マイノリティといわれる人々や弱い立場の人々が、胸を張って暮らしていけるような世の中にしたい」ということです。この村は、満州開拓、植林政策、減反政策、自治体合併など、常に国策によって翻弄されてきました。ここ数年、非効率・不合理の名の下に、次々と切り捨てられてきたのも、息切れしそうな山村です。国土の8割を占める中山間村は、実は日本においてはマジョリティ(多数派)です。それなのに、従来の国づくりの尺度では、「山村の住民」は圧倒的なマイノリティになってしまいます。
 圧倒的マイノリティである「山村の住民」である私たちは、その立場に立たされる人々の想いを本質的に共有できるはずです。それなのに、例えば国策によって満州開拓へ千人以上の村民を送り出してしまった泰阜村では、村内に帰国の方々をはじめとした中国の文化を背負った人が存在していることを、豊かだととらえにくい雰囲気があります。すでに「山村の住民」というマイノリティである私たちが、さらにマイノリティである帰国の方々を否定してどうするのか、と常々思います。もしこの村の子どもが、弱い立場の人を否定したとすれば、村の子どもがこの村のことをばかにしているようなものです。それはまさしくこの村の自殺行為に等しいでしょう。
 「より弱いものが犠牲になる」というマイノリティの負の連鎖。それを断ち切り、その状況を打開するのは教育の役割のひとつといえます。山村もそうですが、老人も、障がい者も、そして子どももマイノリティです。これまで周辺に置かれてしまった人々が、再び地域づくりや社会作りに参画できるような新しい尺度を創り出すという歴史的な役割と可能性が、山村における教育にあるように思えてなりません。
 だから私は泰阜村にいて、教育活動に微力を尽くしているのだと思います。  (代表 辻だいち)




2010年5月8日
『40歳を迎えて 私に流れる人たちと土の歴史』


 4月7日。泰阜小学校の竣工式・祝賀会に、来賓として参列しました。泰阜小学校は、児童数減少を主な要因として、旧南北小学校を統合して産まれたものです。過密に悩み多くの村民を満州開拓に送り込んだこの村は、今は逆に過疎に悩まされています。4月1日現在で人口はわずかに1904人。まさに息切れしそうな村です。しかしものは考えようです。旧南北小学校の歴史は136年。「見方を変えれば、136年経過してようやく村の学校が1つになった」と祝賀会で村長が述べていました。これは至言です。地理的な条件で、南地区と北地区にそれぞれ小学校が配置されたこの村では、何をやるにも南北で調整が必要で、それはときに「南北戦争」とまで言われたといいます。「これで名実ともに泰阜村が1つになった」という思いは、決しておおげさではありません。小学校という学び舎が、地域の盛衰といかに密接に関連しているかということを、小さな地域の住民は骨身に沁みてきた歴史でした。
 4月24日。泰阜小学校の最初のPTA総会が開かれました。私もなぜか初代のPTA役員(部長)となり、PTA会報創刊号作成や親子教養講座の推進に努めます。PTA総会後の、泰阜小中合同の教職員歓迎会は、多くの来賓を迎えてそれはそれは盛り上がりました。この歓迎会では私は、3人の小中学生を持つ親の一人としての参加です。
泰阜村では、住民自身が他人事ではなく自分事の想いを強くして、村の子どもの学びの場を産み出しました。不合理・非効率の名の下に、「生産性が低い」と国策によって切り捨てられてきた小さな山村が、今こそ住民自らの手で本質的な生産性を発揮しようとしています。小学校の統合は悲しい歴史でもありますが、一方で新小学校の誕生は住民自らが自律的な地域を創るという歴史の始まりでもあるのです。
 連休明けの5月8日。暮らしの学校「だいだらぼっち」の子どもたちと、隣の家から借りている畑を耕し野菜を作付けました。この畑はもともとは田んぼですが、ご好意で畑として使わせていただいています。この畑の土に流れる歴史はいかほどなのかと思いが募ります。施肥する堆肥は、昨年度の暮らしの学校「だいだらぼっち」の子どもたちが試行錯誤を繰り返して生ごみから創り上げた堆肥です。畑に敷くワラも、同じく昨年の子どもたちが米作りを通して産み出したものです。暮らしの学校「だいだらぼっち」が営む歴史を身体で感じる1日です。
 5月9日。同じく暮らしの学校「だいだらぼっち」の子どもたちと田んぼを耕しました。耕耘機の調子が悪く、ほとんど子どもたちとスタッフの手作業によって田を起こしました。この田んぼは、90歳になるおばあま(おばあさんの意味)から「もう米作りをする体力がない。手を入れないと田んぼが荒れていく。だいだらでやってくれないか」とお願いされ、従来手がけていた田んぼの倍の面積を手がけることになったものです。4月と5月は毎週末は田んぼ作業です。苗の管理はもちろん毎日ですが。
 このおばあまは、何十年この美しい棚田を守ってきたのでしょうか。私たちがその美しい棚田を借りて米作りをするということは、このおばあまと彼女を支えた地域の人々の歴史を受け継ぐということなのだと、気が引き締まるのです。
 5月8日、私は40歳を迎えました。私の歴史が40年という歳月を刻んだことになります。私に流れる人たちの歴史、私に流れる土の歴史を、しっかりと感じる1年になりそうです。          (代表 辻だいち)




2010年4月20日
『一年間の段取り 〜夢を語り応援し合うということ〜』


 今年の暮らしの学校「だいだらぼっち」は子どもが8人。少なくて寂しい雰囲気と思いがちですがそうでもありません。先日子どもたちは、1年の暮らしでやりたいことや実現したいことを出し合い、それらをカレンダーにざくっと反映していました。「1年間の段取り」とか「年暦」と言われる話し合いです。
 その話し合いの成果物であるカレンダーを見てみると、あるわあるわ、よくもこんなことが思いつくな、という暮らしのアイディアや夢でいっぱいです。見るだけで実に楽しくなります。
 このコラムですが、前身団体のHPで紹介していた「遊学紀」というコラムが、2001年のNPO法人化で
「GREENWOODコラム」として発展的に生まれたものです。今年は、本HPコラムでは紹介されていない2001年以前のコラムも、ランダムに文の中で紹介してみたいと思います。

◆「のぼり窯をやりたい」「ハーブガーデンを作ろうよ」「登山に行きたいなあ」「あ〜っ! 俺もそれやりたい! つけ加えてっ!」
◆「だいだらぼっち」ではこの日、毎年年度始め恒例の「やりたいこと夢会議」があった。1年間の共同合宿生活で、やりたいことや密かに持っている夢を出し合う。自分が必ずやりぬくこと、みんなでやったら楽しそうなこと・・・。全国から集まった小4から中3までの10人の子どもたちと8人の大人たちは、いろんな夢を表現した。
◆やりたいことや夢を語るのは、ドキドキワクワクもあって、実は何ともいえず楽しい。仲間の夢を聞くのもまたとっても楽しいものだ。自分とは違う仲間の物の見方や個性を発見し、気づいて、実現に向けてのアイディアや希望は増幅されていく。
◆そして何といっても一番楽しいのは、これらの夢を、みんなで応援し合ったり、力を合わせたりしていくそのプロセスだ。13年前に「だいだらぼっち」では、こうやって応援し合い、当時のこどもたちの夢であった自分たちの家を、古電柱や枕木を再利用して自分たちで建てた。その後はご存じの通りである。・・・・(1998年4月5日「やりたいこと会議・夢会議」)

10年の時間が経過しても、暮らしの学校「だいだらぼっち」が大事にしているものも、そこに集う子どもたちの想いも変わりません。8人の子どもと彼らを応援するスタッフの夢が集まった今年のだいだらぼっち。ぜひ注目してください。
10年前のコラムは今後も紹介していきます。  (代表 辻だいち)




2010年4月8日
『支援金をいただいて』


 泰阜村の隣村のゴルフ場で、贈呈式があり、支援金をいただきました。
 何のことやらよくわからない文章ですね。私にとってもまさに寝耳に水のような話でした。
 国際ソロプチミスト飯田という社会貢献団体から、今年度の支援金をNPOグリーンウッドに贈呈したいという連絡があったのは3月でした。その団体が主催するチャリティーゴルフコンペの参加費の一部を、地域内で活動する市民団体に支援しようというものだそうです。4月8日の贈呈式当日は、多くの来賓も臨席しており、私がイメージしていたものとは少々違っていましたが、たいへんありがたく受け取りました。
 NPOグリーンウッドを含めて4団体に支援金が渡されたのですが、他の団体がまた素晴らしい。満蒙開拓の歴史記念館を創ろうという準備委員会、知的障害者の支援施設、ハンディキャップを持った子どもたちへのサポート団体・・・。「自然体験を通した環境教育に支援金を贈呈します」という目録に恥じないようがんばらなければ、と思った次第です。
 この支援金をいただいたよと、夕食後のミーティングで暮らしの学校「だいだらぼっち」の子どもたちに話をしました。「だいだらぼっちは、参加する子どもやスタッフのやりたいことや夢を応援し合う場だ。隣でご飯を食べている仲間を応援できなくて、何が仲間だろうか。応援し合うのは難しいことで、どうやったらよいのかきっと悩むだろう。そうやって悩むみんなのことを、お父さんお母さんをはじめみんなの周りの人が応援している。今回は、飯田下伊那地域の会社の社長さんや社会貢献をがんばる女性の皆さんからも応援された。たくさんの人に応援されて、みんなはここで暮らしている。それを忘れないようにしよう。」
 2010年度の暮らしの学校「だいだらぼっち」がいよいよ始まりました。どんな寄り道をして、どんな回り道を重ねるのか? どんなドラマが起きるのか? そのプロセスをみんなで共有していきたいと思います。
 そして国際ソロプチミスト飯田の皆様、支援金を本当にありがとうございました。この支援をしっかりと日々の暮らしに活かしていきたいと思います。この場をお借りしましてお礼申し上げます。  (代表 辻だいち)




2010年3月20日
『小さな学校の灯が消える』


 3月12日、泰阜村の小さな小学校の最後の卒業式がありました。
 暮らしの学校「だいだらぼっち」の子どもが通う泰阜南小学校。私の息子と娘も通っています。全校生徒38名。130年の歴史に幕を閉じます。
 今年度の卒業生は8名(私の息子もいます)。卒業生の3倍〜4倍はいるであろう地域の来賓の方々に祝福され、厳粛にもあたたかい雰囲気で式は挙行されました。来賓代表の松島村長の言葉は「思い通りにならないことがあることを知れ。それを乗り越えていけ」ということでした。
今年度の学年PTA代表だった私も保護者代表としての挨拶をしました。地域の皆さんに見守られ、泰阜村の持つ教育力がこの卒業生の小さな胸に刻み込まれ、いつか大きく花咲くことでしょう。また、献身的な先生に導かれ、小さな規模の学校でこそ生まれる豊かな人間関係は、きっと卒業生にとって見えない財産となったことでしょう。
4月から、泰阜北小学校と統合され、泰阜小学校になります。15日、18日、20日と引越し作業が続きました。南北小学校の児童はもちろん、地域住民が多数参加しました。高校生や中学生、南小学校に通ったことのある暮らしの学校「だいだらぼっち」の卒業生もボランティアで駆けつけ、まさに総出の引越し作業となりました。
 18日、南小全校生徒と地域住民が見守る中、そっと校名札が降ろされました。校名札を降ろす一人が暮らしの学校「だいだらぼっち」代表の梶(かにさん)でした。南小学校は130年の歴史を持ちます。その歴史の中には、1986年からの「だいだらぼっち」の歴史も流れています。閉校は本当に残念ですが、この瞬間にPTA役員として居合わせた自分は、ある意味幸せかもしれません。
 小さな学校の灯が今、消えました。そして新しい学校の灯が4月から灯されます。小さな村の教育に懸ける不屈の情熱を、どうかご支援ください。   (代表 辻だいち)




2010年2月10日
『犬 〜 同期の仲間を失う傷み 〜』


 私は彼の耳を噛んだ。実にいやそうな顔をしてこちらを向き、彼は何かを言おうとして力ない声で吠えていました。それが私と彼との最後の会話でした。
 NPOグリーンウッドの暮らしの学校「だいだらぼっち」に約17年間暮らしていた彼=柴犬(雑種)の「コロ」が2月6日未明に天に旅立ちました。小さな愛嬌のある佇まいは、「だいだらぼっち」に関わる誰からも愛されていました。
 1993年当時、まだ4人しかスタッフのいなかったこの団体に、私が新たなスタッフとして入った4月。同期など望むべくもありませんでしたが、ちょうど同じ4月にもらわれてきた小さな小さな「コロ」が、私の唯一の同期となりました。泰阜村に運んでくる車の中で、小さな「コロ」は嘔吐を繰り返しました。その度に処理を施したことを、私の身体が覚えています。
 この17年間、彼と共に過ごした時間が走馬灯のように駆け巡ります。天に旅立った彼を想うと、心が痛い。身体が痛い。身が引き裂かれんばかりに痛い。これが同期の仲間を失う傷みなのでしょうか。
 小さな命が、こどもたちやスタッフに大きな痕跡を残してくれました。それは、小さくともあきらめずに生きる姿勢です。特に必至に生き抜いた晩年は、周りの人に深い示唆を与えてくれる見事な生き様でした。こうやって書いていて涙が出ます。コロについて初めて涙を流しました。それは彼を失って初めて知る痛みと悲しみに出た涙です。
 涙がとめどなく溢れます。コロ、ありがとう。同期のコロ、同じ17年を一緒に過ごしてくれてありがとう。本当に涙が止まりません。自分でもびっくりするほど泣いています。どうしてしまったのでしょうか。文がまとまりません。
 同じ想いを抱いたことがあります。20年前の今日、1990年2月10日、大学時代に山岳部の友人が冬山登山中に雪崩に巻き込まれてこの世を去りました。何がなんだかわからずに、1日中泣いたあの日。それからちょうど20年がたち、同じく同期の仲間を失って、とめどなく涙を流しています。
 この小さな命の生き様を胸に刻み込み、「だいだらぼっち」のこどもたちへの豊かな学びの土台にしていきたいと思います。そして悲しみを乗り越えて次のステージに進みたいものです。  (代表 辻だいち)




2010年1月17日
『年頭にあたっての提言 〜 本質的な自律の心を培え 〜』


 新年あけましておめでとうございます。1999年から毎月一つは書こう、と続けてきたこのコラムもどうやら170編を数えるようです。まさに継続は力なり。今年も懲りずにおつきあいいただければ幸いです。
さて、今から15年前の1995年1月17日、神戸を激しい地震が襲いました。全国から青年ボランティアが渦のように次から次へと集いました。まさしく彼らの力で神戸は復興の一歩を踏み出したのです。私もまたその1人でした。思えばまだ24歳。
 その2年後の1997年1月7日、福井県三国港沖にタンカー「ナホトカ号」が座礁し、大量の重油が日本海を汚染しました。ここでも全国から青年ボランティアが集い、地域住民との協働により日本海がよみがえっていったのです。私も暮らしの学校「だいだらぼっち」の子どもたちも重油を掬いに行ったボランティアの1人でした。私は26歳。
 それから現在まで、災害が起こるたびに全国から集まる「助け合い・支え合い」の気持ちは、せちがらい世の中においてはある意味安堵感を覚える尊いものでもありました。そして、それに呼応するかのごとく、もともとその地域が持っていたお互い様ともいうべき「ご近所の底力」が沸々とわきあがって困難を乗り越えていく姿も、失礼なようですがなぜか安堵感を覚えるものでありました。
 私は2008年夏から、読売新聞で教育コラムを連載しています。ここでは2009年12月16日付で掲載された記事から引用して、年頭にあたっての提言をしたいと思います。

 「自立支援」の名のもとに、老人や若者、母子家庭、そして子どもにも「自立」が強要されるような、いわば新自由主義的な政策が実施されてきたことは記憶に新しい。個人の能力を高めて自立せよ、と迫る政策は、人間をばらばらな孤立した存在にし、「自己責任」原則によっておよそ「自立」できない個人、集団、地域に対して「自立」を強要する。要は、「自分が強くなる」ことが「自立」だという。
 しかしどうも腑に落ちない。南信州で長年にわたり青少年の山村留学や自然体験キャンプを続けてきた私にとっては、個人の能力にスポットをあててそこをいくら強化してもそれは本質的な自立とはいえないのではないか、という思いが常につきまとう。
 20年間見続けてきた子どもの姿は、決して「強い個人」同士が力をあわせる姿ではなかった。むしろ、思い通りに進まないことに腹を立てたり、自分のことを自分で決められなかったり、仲間のことを思いやれないといった「弱い個人」の姿だ。そんな「弱い」子どもたちであっても、支え合い認め合う仲間がそこに存在するという安心感の中で、確かに成長していく場面を見続けてきた。その成長は、「周りとの連携・相互依存を通して自己決定権の条件を確保する」という意味において「自律的」な成長ともいえる。
 「今のこどもたちに欠けているもの」、それは「支えられている安心感」だ。支えられている、認められている、応援されている、ということを、子どもたち自身が実感できる場や周りとの関係性が、今は本当に少ない。その安心感があれば、周りを支え、認め、応援することを自らできるようになるだろう。同じことは、子どもだけではなく、およそ生産能力が低い(と断定されてきた)老人や障害者、農山村地方などにもあてはまる。「支えあい」の中から滲み出るように産まれる確かな「自立心」。子どもにもこの国にもそれが欠けている。


 国策により切り捨てられ、忘れ去られたような「何もない村」泰阜村。それでもこの村は自立を宣言しています。「自立」を宣言したから住民同士が支え合うかといえば、そういうわけでもありません。
最近の冷え込みで泰阜村にも降雪がありました。90歳になる隣のおばあま(おばあちゃんの意味)が心配と、われわれ若者や子どもが訪れ、玄関先の雪かきをします。住民同士が、小さな力といえどもそれぞれの力を持ち寄って、お互いを支えあう。そうして初めて、地域の課題を自ら解決する「自立」の力が培われていきます。弱い地域、小さな山村は、そうやって生き抜いてきたのです。
 自分のことは自分で決めて実行する、という強い「自立心」を培いたいのは事実です。しかし、その「自立心」を培うためには、遠回りなようですが、質の高い「支え合い・助け合い」の基盤をもう一度構築する必要があると確信しています。それを教育の立場から構築するのが私たちの役割です。
私、今年、不惑の年、40歳。阪神大震災当時、暮らしの学校「だいだらぼっち」で受け入れた西宮と芦屋の小学生はもう社会人。震災15年の日、「神戸はどうだ?」とメールを入れると、「ただ辛い経験だったと遠ざけるんじゃなく、なにかの時にきっと活かせる経験だから、忘れずにいようと考えるようにしています」と返事が返ってきました。
周囲の多様性との質の高い連携・相互依存を通して自己決定権の条件を確保する。本質的な意味での「自律」を目指します。 (代表 辻だいち)




2009年12月31日
『他者との関係を豊かにする学力の実際 〜2009年暮れ〜』


 今、南信州の泰阜村では、全国から子どもと学生が集い、「冬の信州こども山賊キャンプ」が行われています。ご存知の通り?この村には国道も信号もコンビニもありません。そんなへき地山村で行われるキャンプが、今や行列ができるほど全国の子どもから人気があります。それは、、山賊キャンプを始めとした泰阜村での教育実践では、今年最初にこのコラムで提言した「他者との関係を豊かにする学力」が培われる、と参加する子どもや保護者が感じているからに違いありません。今回はその「学力」の実際を紹介します。
 例えば、一年間の山村留学である暮らしの学校「だいだらぼっち」では、4月にはお風呂の焚き口で何もできなかった子どもが、秋には自分が入った後にお風呂に入る人のために薪をくべる(追い焚き)ことができるようになりました。ここで培われた「学力」は、単にお風呂焚きの習熟度が増しただけではなく、他の人を思いやる気持ちを伴う「学力」です。
 来年度参加する子どものために、今年度参加している子どもが来年の暮らしに必要な薪を調達して割って貯めています。4月には土いじりもできなかった子どもが、秋には稲刈り後に「もったいない」といって落ち穂を拾うようになりました。ここで培われた「学力」も、水稲栽培の知識と技術、間伐による環境保全の知識と技術だけではなく、仲間の暮らしを長期的に見据える視点を伴った「学力」です。
 地域住民総出で道路清掃等を行う「道路愛護作業」には、山村留学の子どももスタッフも出労しました。高齢化が著しい集落では、作業一つをとっても猫の手を借りたいほどです。米作りにおいても、近隣住民に機械を貸していただき、そのお返しにその家の米作り作業などを手伝うことになりました。これらの共同作業などを通して、4月には共に暮らす仲間のことを思いやれなかった子どもが、「困ったときはお互い様」の意味を身体で学んでいくのです。
 テストの点数の量や有名大学の合格者数で評価されるのが、今の日本の当たり前の学力観です。人より1点でも高い点をとる、人を押しのけて合格する、そのようなことが当たり前の中で培われた学力は、果たして本質的といえるものなのでしょうか。
 小さな山村の教育実践では、「個人所有の学力」の視点からいえば「低学力」かもしれませんが、「他者との関係を豊かにする学力」の視点からいえば「高学力」の子どもを育くみ続けています。泰阜村での教育実践が、日本の今の学力観に一石を投じることになることを願いたいものです。
 今年1年たいへんお世話になりました。良い新年をお迎え下さい。  (代表 辻だいち)


                                                                                                 >代表だいちのGREENWOODコラム TOPへ 


NPO法人グリーンウッド自然体験教育センター
〒399-1801 長野県下伊那郡泰阜村6342-2  TEL : 0260(25)2851  FAX : 0260(25)2850

  >個人情報保護方針について
Copyright c NPO-GreenWood. All rights reserved