2009年12月10日
『隣からの贈り物 〜お互いに必要な価値は3往復する〜』
先日、家の玄関先にお米と野菜がおいてありました。きっとご近所のおじいま・おばあまが置いていったのでしょう。おじいまとは「おじい様」、おばあまとは「おばあ様」を表すこの地域の方言です。隣のおじいま・おばあまは、11月に私の息子たちがインフルエンザに罹ったときに、「これ食べるとよくなるから」と、自家製のカリン漬けをたくさん持ってきてくれました。そのお返しに、と私が実家(北陸福井)の海産物のお土産を渡すと、それはそれはたいそう感謝されました。今回のお米と野菜は、さらにそのお返しということでしょうか。 泰阜村のような小さな山村では、こういうことは当たり前です。そっちの家にとって今、それが必要だろうな、ということを推察しています。例えば、辻さんのところは今子どもたちが風邪をひいてるな、それじゃカリンをあげようかな。今度は、辻さんのところはお米や野菜を自分では作っていないから(正確には少し作っているのですが、彼らからすれば作ってるうちに入らないのでしょうね)とれたて野菜と新米をあげたら喜ぶだろうな、という具合です。私もまた、山村のおじいま・おばあまだし、海産物が手に入らないわけではないけれど、少なくとも喜ぶだろうな、という具合にお返しをします。 これが1往復で終わればいいのですが、今回のように2往復も、場合によっては3往復も続くこともあるわけです。そういった、隣近所だから心配する気持ち以上に、お返しする相手に必要な価値の受け渡しというか、交換というか、そういう往復を行う習慣が残っている地域が、山村です。だから、往復するモノが金額や価格としてはつりあわない。でも、それでいいのです。お互い必要な価値がつりあっているのですから。 お米と野菜が置いてあった日から間をおかずに、今度は向こう隣のおばあまからはとれたての大根をもらい、さっそく食べておいしかったとおばあまに報告したら、そのおばあまは顔をくしゃくしゃにして喜んでいました。このおばあまにとっては、感謝の言葉でつりあったのでしょうね。その後も、道を挟んだ向かいのおじいまからは、私が飼っている犬にあげてくれ、とちょっと傷んだチャーシューを山盛りでいただきました。さて、あのおじいまには、何をお返ししようかな? 今、何があのおじいまにとって必要なのだろうか、と考えていくのです。 これが都会になると冒頭の文章は「何者かによってお米と野菜がおかれていた」などという表現になり、「ちょっと不気味だな」「関わらないでおこう」という気持ちが支配的になるのでしょうか。きっと往復どころか、片道すら実現しない社会なのかもしれませんね。 数日間に、同じ土地に暮らす住民同志で往復されるあたたかい思いに触れ、ああ、泰阜村で暮らしていて豊かだな、と改めて思いました。でもこのような風習の残る村だけが良い、ということでは社会が変わらないのは自明の理です。失ってしまった価値観に気づくのは、それが維持されている場での体験しかありません。泰阜村での体験を通じて、都会の子どもたちにもその価値に気づいてもらいたいと思います。
そんなことを気づくことができる冬の山賊キャンプ、もうすぐ始まります。 (代表 辻だいち)
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2009年11月18日
『ひとり一人が大事にされる世の中を』
今月はあちこちで、安全講習を実施してきました。 まずは、泰阜村のお隣の飯田市にある飯田女子短期大学で特別講義。養護教諭のタマゴ学生のみなさんに、3時間かけてファーストエイドの考え方やリスクマネジメントの初歩的技術、そして実際の救急救命措置などをじっくりと講義&実習。たいへん好評でした。 次は、泰阜村の特別養護老人ホームにて職員の研修勉強会にお招きいただき、1時間30分程度でファーストエイドの考え方やリスクマネジメントの初歩的技術、そして実際の救急救命措置の実習。AEDがまだ整備されていない施設だということで、どのようにすれば救命率が上昇するのかについての部分は、皆さん食いつくような視線でした。 そして、長野県の北部にある須坂市の商工会議所からお招きをいただき、峰の原高原というところのペンションのオーナーの皆さんを対象に、これも3時間かけてファーストエイドの考え方やリスクマネジメントの初歩的技術、そして実際の救急救命措置などをじっくりと講義&実習。お客さん相手の職業ですので、皆さん本当に真剣な受講態度で、これなら学習効果も高まったものと思います。 何のために自然体験活動をするのか?というときに、私は「平和」の視点を大事にしていきたいと常々思っています。それは具体的に言えば「一人一人が大事にされる世の中」という視点です。民主主義というとおおげさでしょうか。話し合い=つまり合意形成を大事にする暮らしの学校「だいだらぼっち」や、参加したこどもたちの力でプログラムを編み出す「信州こども山賊キャンプ」などは、まさにこの視点を大事にした取組みです。 そうなると突き詰めて考えれば、「命を大事にしたい」という当然でありながら最も尊い視点に行き着きます。人、自然、地域、歴史、文化、それぞれの個性を尊重するときに、その原点は「命の尊厳」であろうと考えます。私が救急救命法に力を注ぐのは、それが民主主義の原点をまずは確保する取組みだと強く思っているからです。
一人一人が大事にされる世の中を、救命法やリスクマネジメントなどの安全講習からアアプローチしてみるのも悪くありません。もっと力を入れるつもりです。 (代表 辻だいち)
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2009年10月08日
『小さな地域の戦い方』
9月下旬に、昨年起きた宮城・岩手内陸地震の震源地である宮城県栗原市耕英地区に行ってきました。記憶に新しいとは思いますが、報道され続けた温泉宿(駒の湯)が土石流に飲み込まれるなど大きな被害を出した同地区には、グリーンウッドの仲間である「くりこま高原自然学校」が存在しています。今年になって地区全体の避難が解除はされたものの、自然学校施設の基礎が破壊された状況では山に戻ることもできず、栗原市の里で分校を開いて事業を継続しています。 今回、自然学校長の佐々木豊志さんと一緒に被災地をめぐりました。山がまるごと崩壊している光景を目の当たりにしてまさに絶句です。自然学校で子どもたちが遊んだ滝は、家一件ほどはあろうかという大岩で埋め尽くされていました。土石流に飲み込まれた温泉宿の沢は、目が点になるような光景です。それらの光景を俄かには信じられず、うまく身体がその情報を処理しきれないのか、吐き気をもよおすほどでした。よそから来た私がそう感じるのだから、佐々木さんの気持ちはいかほどだろうかと心が痛みます。 佐々木さんにも被災した住民にもお話を伺うにつけ、平成の合併で10町村が合併してしまった栗原市の行政が、被災したか被災しなかったにかかわらず住民から遠いところに存在してしまっているのだなと感じました。その地域に住む人々が、その地域のことを決めることができない。そこに住む住民のどれだけ近くに政策決定権があるのか、という自治の基本を、自然の猛威によって改めて学ぶのはまた皮肉なものです。 そして今日、10月の台風では最強クラスと言われる台風18号が、南信州泰阜村を直撃して、そのまま日本を縦断したようです。くりこま高原にも台風の影響が及ぶでしょうか。危機に直面したときにこそ、その地域の本当の力が試されます。あらゆる危機に直面しているへき地山村泰阜村も、こんな台風に負けている場合ではありません。東北の被災地を訪ねて、改めて小さな地域の戦い方を考える機会となりました。 (代表 辻だいち)
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2009年08月15日
『また8月がめぐってくる』
現在、泰阜村では全国から約1,100人の子どもたちと約330人の学生ボランティアが集い、信州こども山賊キャンプが開催されています。長雨が続き、なかなか外で遊ぶことがままならないうえに、台風や大きく揺れた地震も追い討ちをかけています。それでも、子どもたちや学生ボランティアは度重なる自然の猛威にもめげず、元気一杯にキャンプを楽しんでいます。 今年の山賊キャンプは2泊のコースから11泊のコースまで全28コースあります。どのコースでも、参加している子どもたちは、それぞれの期間の自然体験・共同生活の中で、確実に自分自身の世界を広げることにチャレンジ゙しています。最初はバラバラに動き、仲間に思いやりを持てなかった子どもも、折り返し点を迎えると、仲間の個性を認め合うこと、仲間と協力することの大切さやすばらしさを体感し始めています。 「同じ釜のメシを食べた仲間」とはよく言われますが、寝食を共にした仲間は理屈抜きに仲良くなるものです。まさにキャンプは「同じ釜のメシを食べる」具体的な場面でしょう。キャンプ期間中の様々な出来事との出会いの中で、互いの個性を認め合い、足りないところを補い合っていくというプロセスから、「多様性を認め合うセンス」や「自律のセンス」は獲得されていくものです。 この山賊キャンプでこのセンスを育んだ子どもたちが増えていけば、きっと戦争や紛争は起こらないだろうなと、半ば確信的な想いを持っています。少なくとも私はこれらのセンスを帯びた平和な世界をイメージして、子どもたちと山賊キャンプを行っています。 毎年めぐってくる8月。ヒロシマの日、ナガサキの日、そして終戦の日。 この8月に、次の世代に伝えなければいけないことは山ほどあるのです。この8月に山賊キャンプを開催できることを幸せに想います。 (代表 辻だいち)
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2009年08月01日
『久しぶりの山賊キャンプは雨、雨、雨』
信州では7月中旬に梅雨明けが発表されましたが、それからも雨、雨、雨。戻り梅雨どころか、全く梅雨明けしていないような長雨です。ここまで降ると夏野菜の収穫にも大きな影響を与えているようです。信州こども山賊キャンプも、7月20日に始まって以来、この長雨に悩まされています。 私は、久しぶりに現場責任者(ディレクター)として、7月28日〜31日までの山賊キャンプチャレンジコース4組を担当しました。久しぶりの現場の感覚をどう取り戻そうかな、とのんびり構えていましたが、始まってみるとそんな場合ではなく、大雨との格闘に一気にアドレナリンが噴出していく感じでした。 大雨の中のキャンプ。まさに「思い通りにいかない」ことだらけです。火をおこせると自分では思っていても、マッチも紙も薪も湿っていてほとんど火がつかない・・・、自分の荷物は自分で整理できると思っていてもキャンプでは失くし物ばかり・・・、友達と協力できると思っていてもキャンプでは相手の気持ちを思いやれずに自分のことばかり考えたり・・・。 子どもたちも青年ボランティアも、キャンプの中に存在する「思い通りにいかない」ことに直面し、「じゃあどうする?」と考えたり知恵を絞ったりして、力を合わせることの大切さを学んだようです。朝食の火おこしの熱を使って夕食の火おこしに使う予定の薪を乾かすこと、手洗いの水が全て無くなる前に水汲みにいくこと、困っているグループに別のグループの子どもたちが力を貸すことなど、たった3泊4日といえどもこれらの学びの質は非常に高いものです。 自然と向き合うこと、人間と向き合うことは、そもそも予期せぬことばかり起こるものです。大雨の中の「思い通りにいかない」ことが連続するキャンプは、快晴のキャンプとは違った学びを子どもたちと青年ボランティアに与えてくれました。 「思い通りにいかない」ことを楽しむ原体験。これからの時代を生きる子どもたちには必要不可欠な原体験です。 (代表 辻だいち)
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