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代表だいちのGREENWOODコラム


2008年9月1日
『防災の日 〜備えるための連載その1〜』

 3%。これは日本での救命率です。もし、心臓が止まってしまったら、例え救急車を呼んで、素早く病院に運んだとしても、助かる確率はたったの3%しかないのです。
 なぜ、これほど低い数字なのでしょうか?
 救命率が低い理由の一つは、心臓が止まってしまって救急車で運ばれた方のうち、救急隊到着までにCPR(心肺蘇生法)を受けられた人はわずか5%で、残りの95%の方は、CPRが必要なのにもかかわらず、CPRを受けられなかったからです。
 呼吸と心臓が止まってしまったら、すぐにCPRを施さないと蘇生率は著しく低下します。1分後には97%あった蘇生率が、4分後には50%、6分後にはわずか10%まで低下します。
 呼吸停止・心臓停止の人が蘇生するには、4つの段階が必要です。1番目は「早期通報」です。とにかくまず救急車なりのレスキュー・医療機関を呼ぶことです。2番目は「早期CPR」。救急車が来るまでに、脳と心臓に酸素を送って時間かせぎをします。3番目は「早期除細動」です。除細動とは、電気ショックのことです。電気ショックで心臓を元のリズムに戻します。4番目は「早期二次救命措置」です。いわゆる救急車・レスキュー・医療機関です。
 この4段階を「蘇生の連鎖」と言います。4つのうちどれひとつが欠けても、人は蘇生できません。日本では、これまで、1番目と4番目の段階しか存在していないと言われていました。つまり、緊急事態に遭遇したら、通報した後は救急車を待つだけ、という状況だったのです。心臓停止から6分後には蘇生率が10%台に低下するのですから、これでは、救命率が低くなるのも当然と言えば当然です。
 アメリカなどでは、2番目の段階が存在します。つまり、一般市民へのCPRの教育が施されているのです。それが日本とアメリカの救命率の差に顕著に現れます。また、日本でもようやく配備が進み始めた3番目の段階ですが、アメリカではすでに街中に広く配備され一般市民が使えるようになっており、シアトルなどの先進地では救命率が20%〜30%というわれわれ日本人からみれば信じがたい数字になっているのです(ラスベガスではその数字はなんと70%!)。
 4段階の蘇生の連鎖を意識し、一般市民しか担えない1番目と2番目の役割をきちんと果たすことはもちろん、第3段階の配備がもっと進めば、日本の救命率も徐々に上がっていくのではないでしょうか。  (事務局長 辻だいち)




2008年8月6日
『たしかに平和の音が聞こえた』

 7月26日〜30日まで、「Kids’ AUキャンプ2008 inモンゴル」をモンゴルで開催してきました。2001年から私たちグリーンウッドが主導して日本で始まった、北東アジアのこどもたちの自然体験活動による交流キャンプは、2005年には韓国で、そして2006年から2008年までモンゴルで連続3回開催と、強い意志を持った大きなうねりとなっています。 本来は6月中旬に開催される予定でしたが、モンゴルでは5月に手足口病という感染症が異常発生し、延期を余儀なくされました。また、6月末には総選挙後の結果に対しての暴動が首都ウランバートルで起こり、果たして開催できるのか不安にもなりました。それでも、北東アジア諸国間の緊張感が高まっているこの時代だからこそ、民間レベルでの子ども交流が必要なんだ!という強い意志を持つ人々があきらめずに努力し続け、なんとか開催に至ったのです。その努力に脱帽です。 モンゴルの大草原を舞台に、言葉が通じない6カ国の子どもたち70人が、見事に仲良くなっていく場をこの目で見ました。草原の風、子どもの歓声、各国の伝統料理が作られる時間、キャンプファイヤーの炎から、「平和の音」がたしかに聞こえました。この活動は間違っていない、と確信できます。 2001年、私とむさし、サラムの日本人3人で始めたこのkids’ AUキャンプ。誰も北東アジア諸国に友人はいませんでした。でも、今、kids’ AUキャンプは8回を数え、このキャンプに関わった人々は1000人を超えます。今や私は北東アジアに1000人もの友人がいるのです。 北東アジアの平和と安定のために、たった3人の日本人が始めたキャンプです。やればできるのです。唯一の被爆国である日本が、世界平和のためにできることは、いくらでもあるのではないかと思います。
(事務局長 辻だいち)




2008年7月20日
『ゲートボール大会 〜楽しい意地の張り合い〜』

 猛暑の中、ゲートボール大会がありました。集落には隣組の付き合いで構成される「班」というものが6つ存在し、3つづつの班に分かれてまずはリーグ戦です。1位同士が優勝決定戦を行い、2位同士が3位決定戦を行います。
 私もメンバーで出場しました。でも、80歳以上のおばあま(おばあ様の意味)やおじいま(おじい様の意味)に、こてんぱにやられる始末です。いやあ、実に奥が深い。ゲートボール恐るべしです。結果的には6班中4位でした。もちろん悔しいです。でもやっぱり集落構成員みんなで楽しめたことが心地よい。その後の懇親会ではお酒も入りながら「今度は負けないぞ! 班みんなで夜に練習だ!」と、楽しい意地の張り合いが続きました。
 数日前には、ソフトバレーボール大会がありました。私達の居住集落は「田本」といいます。田本から3つのチームが出ました。グリーンウッドからも6名のスタッフが出場し、3つのチームに分かれました。トーナメントの同じエリアに、田本の3チームが集中し、結果的につぶし合いになる始末。なので結果は最高でベスト8。もちろん悔しいです。でもやっぱり集落構成員みんなで楽しめたことが心地よい。
 ソフトバレーボール大会は、職場でチームを作ることもできます。実際に、最近は職場チームがどんどん増えています。でも、田本に住む人々は、集落の人々でチームを構成しよう、とずいぶん前々から続けているのです。それは、勝ちにこだわるよりは、老若男女で力を合わせて楽しもうという考え方がこの集落に根強くあるからです。
 次は夜間ソフトボールリーグ戦が開幕されます。私も知らないうちに田本集落チームのメンバーリストに登録されていました(笑)。田本のチーム名は「ちゃんぴおん」です。また忙しくなりそうです。   (事務局長 辻だいち)




008年7月7日
『へき地から始まる教育改革』

 7月7日に「あんじゃね支援学校」が開催されました。「支援学校?」と首をかしげる人もいるかもしれません。
グリーンウッドは、地元泰阜村のこどもたち対象に体験活動を行っていますが、それを「伊那谷あんじゃね自然学校」といいます。「何もない」と村民ですら揶揄する泰阜村。しかし実は村に内在している様々な教育力(自然、歴史、暮らしの文化、人など)を改めて子ども達に伝えていこうという取り組みです。
(あんじゃね自然学校サイト http://www.greenwood.or.jp/anjane/index.htm
「あんじゃね支援学校」は、簡単にいえば、この「伊那谷あんじゃね自然学校」を支える大人の集団です。座長は村長。小中学校、PTA、保育園、保育園保護者会、役場職員、青年団、村内NPO、農家、猟師、議会、陶芸家、炭焼き職人など村内から17人の委員に、学識経験者や長野県職員3人が加わり、20人全員が出席しました。これはすごいことです。
「欧米に追いつけ追い越せ」という戦後教育は、残念ながら「都市に追いつけ追い越せ」という意識をも泰阜村の村民に強烈に植え付けてきました。そして村民は、「何もない」泰阜村の境遇を嘆き、この村が持つ教育力を否定的にとらえて「この村にいてはだめだ」と息子達を都市部に送り出してきました。言葉を換えれば、村の公立学校であっても、教育を受ければ受けるほど(受けても受けても)、この村に戻ってこない若者を増やすことになります。
でも、今、教室の外にある体験活動の質をあげるために、「支援学校」という形で多くの村民が力をあわせるようになりました。世界恐慌が吹き荒れる昭和初期、貧しいこの村では、将来を担う子ども達の情操教育のために教員達が給料を返上し、それを全村民が支持した歴史があります。この村にはもともと、目先のことにとらわれず、長期的視野で教育を尊重する気風がありました。今、アマゴが泳ぐ川にも、炭を焼く里山にも、野菜が育つ畑にも、こどもの声が戻ってきました。それはまさに、泰阜村の教育力が村民の手によって取り戻されていくかのようです。
驚くことにこの「支援学校」の取り組みに、国(文部科学省)が金を出すといいます。地域の教育のありようを、地域の人たちが決める。そもそもそれは当たり前のことです。欧米のプログラムを輸入するものでもなければ、県の教育委員会からあれこれと指示されるものでもありません。泰阜村でしか教えられないことを、泰阜村の子ども達に教えていく。その当たり前のことを、ゆるやかにですが力強く進めていく「支援学校」でありたいと思います。
 本質的な教育改革はへき地から始まります。  (事務局長 辻だいち)




2008年6月18日
『その出会いがあるからこそ』

 6月23日〜26日まで沖縄に行ってきました。沖縄本島北部の国頭村安田地区の勉強会に呼ばれました。昨年のコラムで紹介した安田地区です。その安田地区でエコツーリズムや自然学校に取り組む中根忍さんとも協働研究などでの打合せもあったのですが。
 那覇空港に降り立ったのは23日で、ちょうど沖縄戦慰霊の日です。63年前の沖縄内陸戦で20万人も犠牲になったそうです。ちょうどこの日に来たのだからと、一念発起で「平和祈念公園:平和の礎」まで車を走らせましたが、延々の大渋滞。やっとのことで到着してみると、「忘れてはいけない、伝えなくてはいけない」という数万人の遺族が集まっていました。それは率直に驚きの光景でした。
 25日には本島最北端の辺戸岬へ行きました。北海道にいたことのある私にとって「最北端」の響きは、北方領土やサハリンが浮かぶいわば演歌の似合うわびしい荒涼とした風景をイメージさせるのですが、どうも違う。沖縄ではどこまでも明るい風景が目の前に展開するのですが、やはりそこにも悲しい歴史がありました。水平線に浮かぶのは鹿児島県与論島。沖縄が日本に返還されるまではこの海峡に国境があったわけです。アメリカ軍に支配されていた(今もかもしれません)沖縄の歴史をまた知ることになりました。
 26日には、沖縄県名護市の屋我地島にある愛楽園(国立療養所沖縄愛楽園)、つまりハンセン病の施設に立ち寄りました。ここでは11年ぶりに糸数宝善・敦子ご夫妻と再会することができました。徹底的に人権を否定されてきたハンセン病者を苦しめてきた「らい予防法」が1996年に廃止され、今後ハンセン病者や療養施設がどうあるべきかを規定したハンセン病問題対策基本法が今年成立した今、85歳になるご夫婦の今後を少しだけですが聞くことができました。
 今回の沖縄訪問は、自分がなんと不勉強なことかと思い知り、恥ずかしい気持ちで一杯になりました。恥ずかしながら、私は糸数さんとの11年前の出会いがなければ、きっとハンセン病のことに耳目を傾けることはなかったでしょう。沖縄返還のことを知らなければ、辺戸岬では真っ青な海を泳ぐウミガメに歓声をあげるだけの自分だったかもしれません。
 しかし、その出会いがあったからこそ自分も成長できる。今回、改めて、戦争に限らず、人の命を奪うことや尊厳を否定することの愚かさを痛烈に感じる機会となりました。(事務局長 辻だいち)



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