NPO法人 グリーンウッド自然体験教育センター





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代表だいちのGREENWOODコラム


2008年5月8日
『不惑に近づいて』

 連休中に、オーストラリアに住む暮らしの学校「だいだらぼっち」卒業生からメールが来ました。私が1993年にグリーンウッドにやってきた(一応就職)時にだいだらぼっちに参加した女の子です。だから同期生ですね。永住権をとったということで喜びのメールでした。外へ目を向けるようになったのは、だいだらぼっちに来て、当時だいだらが取り組んでいた村ぐるみの国際交流がきっかけだったということです。「改めて、だいちありがとう!」とメールは締めくくってありました。悪い気はしないですね(笑)。
 この連休中に、卒業生のいろいろな情報が飛び込んできました。6月のkids’ AUキャンプ・モンゴルにスタッフとして参加する子どもの声、4月から社会人となってがんばっている阪神大震災時に受け入れた子どものメール、芸術大学で陶芸に燃える子どもの顔、希望の進路をとるためにアメ横でバイトする子どもの父ちゃん(しかも鳥取県の米子から自転車で来た!)、高校生活に悩む子ども・・・などなど。
 気がつけば、1993年に泰阜村に来て16年目を迎えます。共に暮らした子ども達の、その後の歴史が私の中に流れ始めています。実に混沌とした人生を送る卒業生に、エールを送りたいし、素直に刺激しあって生きたい、と強く感じます。
 今日、38歳の誕生日を迎えました。40歳まであと2年か。まだまだ、惑いながら生きていくことになりそうです。 (事務局長 辻だいち)





2008年5月1日
『再構築』

 前回、前々回に引き続き今の子どもたちを取り巻く状況に触れたい。子どもたちを取り巻く環境の変化の中で、最も感じることは「子どもたち独自のコミュニティーが崩壊している」ということだ。
 子どもたちというのは、「教室」を一歩出れば、そこにこどもたち独自のコミュニティーを形成する。そしてそこに存在する「子どもたちの横のベクト(=価値判断の基準)」によって、子ども同士はもちろん大人やその他の社会をクールに裁断してきた。その横のベクトルはおそらくそれほど狂っていないはずで、むしろ教室以外にそうしたベクトルの機能するコミュニティーがあった方が、子どもたちに健全な価値観が育つのではないかと感じる。
一昔前では、このコミュニティーが、ガキ大将を中心とした近所の子どもたちの異年齢集団だったのだろう。しかし、今はどうだろうか。時代の変化と共に、子どもたちのコミュニティーは失われた。正確にいうと、子どもたち独自のコミュニティーから、「塾」などの大人の論理を持つコミュニティーへと変質したということだろう。そうしてこの子どもたち独自のコミュニティーの持つ機能を学校・教室に求めるあまり、学校がパンクしてしまったといえる。
例えばNPOグリーンウッドが泰阜村で実施する山村留学「暮らしの学校:だいだらぼっち」や「信州こども山賊キャンプ」は、まさに「子どもたちによる自立自営のコミュニティー」であるという認識を持っている。子どもたちの自覚と責任で運営されるプログラム、つまりこどもたちがあびるほどの自然を直接体験し、それぞれの個性を認め合いながら丁寧な合意形成を重ねて「段取り」を取り、ちょっと不便な手間隙のかかる暮らしを組み立てていくというようなプログラムは、子どもたち自らが自らの主体性と協調心を引き出し、未来を生き抜くための「たくましさ」を育む土台を確実に創る。
 今のこどもたちを取り巻く諸状況が混迷を極める時こそ、「子どもたちの自立自営のコミュニティー」を再構築すること、つまり自然体験・生活体験教育プログラムを提供することが私達大人の責任であるといえるのではないだろうか。

 この文章は、財団法人ハーモニーセンターさんからの依頼で執筆した原稿の原案その3です。私が常々考えていることです。また紹介したいと思います。 (事務局長 辻だいち)





2008年4月10日
『「長〜い」視点持ってみませんか?』

 前回に引き続き今のこどもたちを取り巻く状況に触れたい。こどもたちを取り巻く状況は、便利になったおかげなのか、便利になったせいなのか、常に「短い」スパン・「短い」要素で溢れかえっていると感じる。例えば学校の教室では、45分や50分という「短い」時間に結果を出すことを重視し、そしてそれを家庭はじめ周りは期待してしまう。それはそれでもちろん重要なトレーニングだ。しかし、そのことに慣れるあまり、結果が出ないと無責任状態になることが多いように思える。今、自分、他人、家族、社会、自然など、ひとつひとつの要因をつなぎ合わせて長期的な視野を持ち、自分がどう動くべきかと「段取り」を考えることがなかなかできにくい世の中だ。この「段取り」能力の欠如が「キレる」こと、つまり最近の少年犯罪やこどもを取り巻く悲しい事件などと深く結びついているような気がしてならない。
 私が長野県の泰阜村という小さな山村で実践している山村留学事業「暮らしの学校・だいだらぼっち」では、風呂とストーブの燃料は薪だ。その薪はこどもたち自身が里山に間伐するなどして調達している。驚くことに、来年度参加する子ども達のために、今年度参加している子ども達が自らの暮らしを作り上げる中で薪を調達して割って貯めることを行う。今年度参加している子ども達は、昨年度参加した子ども達が割って貯めてくれた薪を使うことになる。現代では尊い気の遠くなるような気持ちと薪の受け渡し作業ではないか。1年間という長期間の体験活動であればこそ、薪の生活を通して、ものごとを長期的スパンで考え、段取りを取り、行動に移すというセンスを子ども達は学ぶことができるのである。
 果たして、全国で取り組まれる自然体験活動や生活体験活動は、「長い」スパンでの状況判断力や評価のアプローチ力を育てる場になっているのだろうか。欧米のプログラム理論で編成された「短い」環境教育教材・野外教育教材は、目に見える成果=感動や気づきを私たちにある意味劇的にもたらせてくれる。しかし、森林・里山に代表される自然の中での教育活動の役割はむしろ、目に見えない成果にスポットをあてる長期的な視点を持つことにあるのではないだろうか。本来長期的スパンの要素が溢れかえる「自然」「森林」なのに、そこで実践される教育活動は短期スパンなのが日本の現状だ。これでは本当に「木を見て森を見ず」ではないか。
せっかく教室の外に出たのに、そこにも教室の「短い」要素を持ち込むことはない。自然が持つおおらかで「長い」視野がもたらす豊かな恩恵を大事にしながら、自然体験活動を実践したいものである。

 この文章は、財団法人ハーモニーセンターさんからの依頼で執筆した原稿の原案その2です。私が常々考えていることです。また紹介したいと思います。 (事務局長 辻だいち)





2008年3月12日
『へき地で生き抜く人々の力こそ』

 年度末にうれしい知らせが2つ舞い込みました。
 まずは、第5回オーライニッポン大賞において、グリーンウッド会長の梶さち子(かにさん)が、ライフスタイル賞を受賞しました。全国で4人のうちの1人に選ばれました。詳しくは、http://www.ohrai.jp/news/award/jdr0280000000bhs.html
 もうひとつは、第2回山村力コンクールにおいて、私達グリーンウッドがたいへんお世話になってい村のおじさんが、銀メダルの全国山村振興連盟会長賞を受賞しました。おじさんの名前は木下藤恒さんといいます。泰阜村最奥の集落で、不利な地勢を逆手にとり、まさに「こんちくしょう」の精神で生き抜く人です。この村で生き抜く人々こそ、このような賞を得るべき、と締め切り前日の夜に木下さんの家に押しかけて、酒を飲まされながら聞き取りをし、私の手で推薦書を書きました。受賞した、という連絡がきたときに、自分のことのように小躍りしました。
詳しくは、http://www.yamajikara.com/conc/h19/sen-list.html#kojin
 ここでは、木下さんを推薦した原文を紹介します。泰阜村の誇りです。困ったことに、木下さんや梶(かにさん)をはじめ、誇れる人が泰阜村にはたくさんいて、だれを推薦しようか困ることです。

 1 事業開始に至った背景・経緯
 電気が通ったのが昭和37年という長野県泰阜村最奥の集落「栃城」。その栃城にまだ道路が開かない昭和31年頃、10q離れた中学校から山道を帰ってきた当時中学生3年生の木下氏とその友人は、栃城の将来についてケンカした。友人は「この栃城は将来がないから出ていく」と言った。木下氏は「俺は、ここで生まれ育ったから、ここでがんばりたい」。栃城の家まで議論は平行線だったという。
「百姓の子は百姓を」と通信教育で高校・大学を学ぶことを父親から強く止められて失意の底にいた木下氏は、それならばと栃城集落の人々が生活できる基盤を作ろうと決意した。しかし、10年ほどは炭焼き、蚕、土方作業、建築手伝いを転々として基盤を作るには到底遠い状況だった。そして昭和48年、村行政の慎重意見を押し切り、電気や道が通らないほど狭い谷という過酷な自然環境を逆手にとって、栃城集落全戸が組合員となり(山林を担保にして)当時のお金で1,200万円の借金をして渓流魚養殖漁業を始めた。まさに命がけの僻地山村集落復興の取り組みの始まりだった。
また、平成11年に、木下氏を始めとした栃城集落住民と村内の有志、村内の自然体験教育NPOとの協働による実行委員会(木下氏が委員長)を組織して、「やすおか子ども長期自然体験村キャンプ」(平成11年度文部省委嘱事業)を実施した。木下氏は、それまでいぶかしげに感じていた村内NPOの一生懸命な働きと、2週間キャンプで劇的に成長・変化していく子ども達の姿を見て、「魚を飼っていてでかい顔しているだけではいけない。村の中だけの視点ではだめだ。僻地で都市と山村の交流をもっと進めていかなくてはならない」と衝撃を受け、都市と山村との交流活動を始めた。

2 取組み事業の内容
昭和49年以来現在まで、限界集落である栃城集落の住民全員が、何らかの形で年間を通じて渓流魚アマゴの養殖・採卵事業に関わり、それらをビジネス化している。また、平成11年以来現在まで、都市の子どもに夏休みの2週間程度農山村体験を提供する「長期子ども体験村」を実行委員長として8年間継続実施して、泰阜村のファンを次々と創っている。平成13年に村内の有志で「泰阜村グリーンツーリズム研究会」を立ちあげ、村内の登山道整備や駅清掃・整備、山村体験ツアー実施などを行い、平成19年度には観光宿泊拠点を村から受託して運営している。平成17年度にNPO法人化し、木下氏は初代理事長となった。平成17年には、子ども達の体験活動に対する情熱と経験から、自然災害を被った新潟県長岡市、福井県見山町の子ども達と泰阜村の子ども達との交流キャンプを実行委員長として実現した。

3 事業の成果・実績
 「将来がないから出ていく」と言わしめた限界集落である栃城集落の住民は、養殖漁業により地域に密着した仕事に年間を通して従事できるようになった。養殖漁業により出た利益を、集落の公共施設を改善するときに出資している。泰阜村中心部から1時間以上かかる栃城へ続く未舗装道路が、魚を運ぶ理由で全線舗装されるなど、僻地の環境を逆手にとった事業が限界集落を奇跡的に持続可能にさせてきている。また、長期自然体験村やグリーンツーリズムなど都市と山村の交流の推進を強力にJR他関係機関にアピールすることにより、村の無人駅に特急を停車させることに成功した。無人駅に特急停車は全国でも稀であり、これにより国道が走らず大型バスも通れない泰阜村の交流人口も飛躍的に増加し、平成19年度に観光宿泊拠点がオープンした。村民の雇用や村内農家の食材供給が見込まれ、経済波及効果も高まっている。

4 現在の課題・工夫している点
限界集落を自立的に再生するために、集落全戸が必ず関わる生産活動を30年続けてきている。これにより、集落構成員が常に生産的・自立的な姿勢を持ち続けられ、集落住民主体の地域おこしになるよう努力している。そして最も刺激を受けたことは平成11年村内の自然体験教育NPO(構成員は村外出身の若者:現在全員村に定住している)との出会いだと言う。それ以後、そのNPOとの強力な連携により、木下氏らが最も不得意とする都市部への広報や募集活動が進むようになってきている。こうして、まずは足元の集落を固めつつ、村内、村外へとじっくりとアプローチを続けている。

5 今後の展望
木下氏は言う。「自治体合併や格差問題、少子高齢化、労働力の流出など、僻地山村は今まさに息切れしてあえいでいる。しかし、その山村が本来持つ魅力を引き出す努力を最後まで貫きたい。派手にやることはないが、グリーンツーリズム推進に限らず、村の歴史・現代の記録映画を作る活動や地域の公民館活動に協力していくなど、村が持続的になっていくための仕掛け作りを行っていく。養殖漁業では、設備にどれだけ投資したとしても、谷の水源は増えない。自然環境はコントロールできない。つまり、与えられた環境をどれだけ活かすが大事になる。限られた村内資源を村民や村内NPOと協働して持ち寄り、持続可能な村づくりの認識を共有しあって、仕掛けの質を徐々に高める旗振り役になることが自分に求められている」
木下氏は平成11年度の長期自然体験村の終了時に「わしゃ、生まれ変わったら教師になりたい」と言った。彼のこの言葉は、僻地山村に残り生き抜かざるを得なかった人々が持つ不屈の精神、鍛え抜かれて結集された叡智など、失ってはならない大事なものを次世代に伝えなければならない、という強い本能的な叫びである。木下氏ももう70歳になろうとしている。「東京よりも泰阜村の中心部よりもここ栃城がいい、と心底思う。集落が自立する姿を身体を張って見せなければならない。そうしてやっと泰阜村も合併せずに身体を張って自立できる」と固く信じるいう木下氏こそ、山村の力を強烈に発揮させている。(事務局長 辻だいち)





2008年2月10日
『ちょっと不便なほうがいい?』

 今のこどもたちを取り巻く社会は、便利さがいよいよ飽和状況にあるように感じる。街では、あちこちで機械が「イラッシャイマセ」「アリガトウゴザイマシタ」と挨拶し、無言でお金を借りることのできる無人自動貸付機などがおおはやりの現状だ。街でも田舎でも、こどもたちは電子メールでバーチャルな関係を築こうとうする。そこには会話や気持ちの受け渡しがない。それは人間らしさというものを放棄し始めている前触れに思える。便利さというのはもちろん享受すべきだが、便利過ぎると人間らしさというものを失うのではないかという危機感を抱く。
 自然体験活動や生活体験活動は「不便なもの」だ。言葉を換えれば「思い通りにならない」ということになる。自然も人間関係も思い通りにはならない。それらに向き合うことはこのうえなく不便なのだが、その不便さこそが学ぶための土台なのだ。私は長野県の泰阜村という小さい山村で子どもキャンプや山村留学を実践している。例えばマキでごはんを焚くこと、自然を大事にする片づけ方をすること、自分のことは自分でやること、考え方の違う仲間たちと話し合って(合意を形成して)暮らすこと・・・、自然の中や暮らしに存在するめんどうくさいことや不便さに向き合う(=関わる)ところに、様々な発見や工夫があり、そこに主体性やコミュニケーション能力を育む土台があったのではないだろうか。
 先日、便利な山村留学事例を知った。個室があり、食事も洗濯も掃除まで賄いのおばさんがやってくれるという。家より便利な施設で、家より便利な生活を送っていて、しかし周りは山だから「山村留学」。山村に留まって、いったい何を学んでいくのだろうか、といささか驚いた。これは山村留学だけではなく、自然体験活動全般にも言える。不便さを楽しめなくて何が自然体験・生活体験なのだろうか。
 不便過ぎなくてもいい。でもちょっと不便なほうがいい。言葉を換えると「適度に便利」がいい(笑)。私達は、「不便さ」という学ぶための土台を失うべきではない。適度な便利さを保ちながら、自然体験活動を実践したいものである・・・
 この文章は、財団法人ハーモニーセンターさんからの依頼で執筆した原稿の原案です。私が常々考えていることです。また紹介したいと思います。 (事務局長 辻だいち)


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