NPO法人 グリーンウッド自然体験教育センター
代表だいちのGREENWOODコラム


2008年1月25日
『へき地フォーラム? 〜へき地自慢のネットワーク誕生〜』

 日本財団の助成を受けて、へき地泰阜村の中心で、へき地自慢をするような「いったいそりゃなんなんだ?」というようなフォーラムが開催されました。参加した団体は以下の通りす。山形県高畠町で有機栽培に命をかけて取り組む「たかはた共生塾」、新潟県南魚沼市で集落をあげて地域に根ざした教育活動に取り組む「NPO法人エコプラスと栃窪集落」、福井県福井市で廃校を活用した自然体験教育活動に取り組む「NPO法人エコプラス」、熊本県菊池市で廃校を活用して集落ぐるみで都市山村交流活動に取り組む「NPO法人きらり水源村」、北海道浜中町で全国の支援者と共に霧多布湿原の保全活動に取り組む「NPO法人霧多布湿原トラスト」、沖縄県国頭村で自治能力の強い集落を土台にエコツアーに取り組む「やんばるエコツーリズム研究所」。泰阜村の松島村長も駆けつけてパネルディスカッションに参加しました。
30人ほどが集まるこぢんまりとした会でした。しかし、いずれも主流の価値観に抗い、新たな価値観を創出してへき地においてすばらしい実績を残している団体です。何しろ自立度・自律度が高い。年に1回くらいみんなで集まろう、と懇親会の途中でネットワーク設立宣言が出され、来年度の開催は、新潟県南魚沼市の栃窪集落と決まってしまいましたた。
 集まることで求心力を持とうとするネットワークは数多くあります。しかし皮肉なことに、集まることを重視すればするほど、求心力は薄れていくものです。結局集まりやすい都市部の論理が前面に出てしまうこともその一因でしょう。今回のネットワークでは、集まることに求心力があるのではなく、へき地でそれぞれが一心不乱に実践を重ねるところに求心力が芽生えると信じています。何といっても、新潟の集落の一所懸命さを確かめたくて、来年度はまたどうしてそんなへき地で集まるの?という南魚沼でフォーラムを開催するのですから。
 依存の論理が根底にあるネットワークはもう飽きました。へき地で身体をはって生き抜く自立した団体・個人のネットワークを創りたいものです。年に1度、お互いのへき地自慢をすることを楽しみにするネットワークがあってもよい、と思います。 (事務局長 辻だいち)




2008年1月19日
『年頭にあたっての提言 〜教育の質を問え、そして循環を産み出せ〜』

 今、農水省と総務省、文科省が、「こども農山漁村交流プロジェクト」という120万人のこどもを自然体験させる事業が実現しようとしています。平成20年度から、小学5年生が学校教育課程の中で約1週間ほど農山村で体験活動をするようです。長年、へき地山村で体験教育を進めてきた私達にとってはまずは「良い話」と捉えることができます。しかし、「待てよ、何かが違う」と違和感が私の中に生じているのも事実です。泰阜村の周辺市町村は、来年度長野県で1つか2つのモデル枠をめぐって、ものすごい勢いで体制を整えています。しかし前面で音頭をとっているのは、教育関係者ではなく、地方の観光業者など地域振興関係者が多い。この国策、停滞している観光の体のよい看板の架け替えではないか、という気がするのです。端的に言えばそこに教育のニオイが感じられない。
 かつて山村留学がそうでした。児童・生徒の減少に悩む過疎自治体は、「山村留学」を学びの政策から一時的な移民政策に変質させてしまいました。4月1日に児童生徒が何人その村に「移民」してきたのか、その数字が大事なのであって、その日から始まる1年間の山村生活の教育的意義をしっかり考えた地域は、残念ながら多くありませんでした。要は、こども達がその村に来た時点でゴール、だったのです。都会の子供と地域コミュニティを消費的にとらえてしまう教育活動(この時点で教育活動とは言えませんが)からは何も産まれず、今全国の山村留学は継続難にあえいでいるのです。
 来年度から始まる国策は、山村留学の同じ轍を踏まないだろうか、と当時者ながら心配になります。要は、都市部のこども達が農山村に来て「何をするか」「その体験から何を学んでもらうのか」というソフト面よりも、こども達が農山村に来るから「この施設を建て直そう」「この基盤整備を推進しよう」というハード面が強くなってしまうのではないかという強い懸念です。都市部の子ども達が農山村に来た時点で目的が達成される事業はもう見たくありません。都市部のこども達を農山村側の人々が観光や地域活性化の対象としてとらえるのか、教育の対象としてとらえるのかは大きな違いがあります。しかし、国が思い切り舵を切ったこの段階では、おそらく次々と、私が心配している視点でこの国策に取り組んでしまう自治体や地域、団体が出現して、大きなうねりを起こすでしょう。この荒波にたえうる教育の理念、その質を維持した地域・団代こそが本物です。
提言したいことは次の通りです。
農山村の活性化のためにのみ自然体験教育をするべきではない。農山村の教育力を活かした質の高い自然体験教育を実践した結果、農山村に様々な活性化が促され、その活性化がまた自然体験教育の質を高めていくという豊かな循環を産みしつつある構造の中心に、「教育」が位置づけられるべきだ。この「教育」を中心とした豊かな循環が産み出される社会こそが持続可能な地域社会と言うべきものであり、今こそ、全国の農山村に住む人々が、「教育」を地域社会の中心に位置づけるという長期的な視野に立つことを、自ら決めていくことが求められている。
泰阜村でのグリーンウッドの取り組みは、その循環を生み出しつつあると自負していますし、客観的に見てもそうだと思えます。その視点を大事だと思える地域や人々とゆっくりと地道でありながらも強いネットワークを組んでいきたいと思います。 
(事務局長 辻だいち)




2007年12月28日
『子どもだって地域の一員です 〜地区こども会〜

 泰阜村には集落ごとに「地区こども会」があります。集落に住む小中学生の自治組織とでも言うのでしょうか。夏休みと冬休みの前には、集落ごとに小中学生が集まって、休み中の注意事項や行事について話し合います。私は今年度、そのこども会を担当する役員です。これはPTAと集落で作る役員です。
 この日は、私が属する(グリーンウッドや暮らしの学校も属する)田本集落(地区)の子ども達(小5〜中3まで)が集落の神社と駅までの道路を清掃します。一種の社会奉仕活動です。ただ、この村のおもしろいところは、この清掃作業が「社会奉仕体験活動」として位置づいているというよりは、「清掃は子どももやるもんだろう」という小さな村の雰囲気というのか論理の中に位置づいているということです。
大人が安全管理に行くまでもない作業ですが、どのように子ども達が作業するのかの興味も手伝って、一応は安全管理員と称して参加しました。中3のこども会長さんが挨拶して、てきぱきと役割をふったら清掃開始です。私は駅(と言っても山岳地帯の秘境駅)までの道(と言っても車も自転車も入れない山道)を清掃する男子グループと一緒に行動しました。小学生も中学生がいるとふざけずにけっこうしっかりと清掃するものです。感心感心。でも落ち葉が大量にたまっている場所では埋もれて遊んでいます。「こら、早くやれよ」と言おうとした瞬間に、倒木を見つけたこどもが私に「役場に言っておいてほしい。通れないから」。う〜む。いっぱしです。
 この村では、こども達が、確かに地域社会の一員、構成員の一人として認められています。認められることで、こども達もまた、地域社会の一員だということを自覚していくのでしょう。過疎にあえぎ続ける村が持続的な地域づくりを進める時に、こども達が、自らの行動がその地域づくりを支え、役に立っているということを実感できる、ということは実にすばらしいことだと思います。そう考えると、小さい村や小さい集落というのも豊かで良いものだと思えます。 
(事務局長 辻だいち)




2007年12月6日
『訃報』
 訃報があいつぎました。
一人は、グリーンウッドが拠点を置いている泰阜村田本地区の中堅の人です。いつもいつも明るい人でとてもスポーツマン。田本地区の役員でも重責を担ってきた人です。私も田本地区のいくつかの自治組織で役員としてご一緒させていただき、様々にご指導をいただきました。また、地元小中学校のPTAの一員として、私達はもちろん、暮らしの学校「だいだらぼっち」学校の保護者とも、深いおつきあいをいただきました。
 もう一人は、泰阜村の元教育長です。本当に本当にお世話になりました。グリーンウッドの創成期は、彼の時には厳しく時にはあたたかなまなざしと指摘によって創られてきたといってもいいかもしれません。村の誰もが「突然だった」という最期に、村の財産をなくしたような気がします。
 私は泰阜村に来て15年になります。知らないうちに、私の中にこの村の数々の人々の歴史が流れるようになったのでしょうか。この人たちのためにもがんばらなければ、と焦る気持ちはありませんが、その強い気持ちはしっかりと持つ続けて生きたいと思います。お二人のご冥福を心からお祈り申し上げます。 
(事務局長 辻だいち)




2007年12月1日
『若者は宝!? スタッフの結婚式』

 12月1日に、グリーンウッドの若いスタッフ同士が結婚式と披露宴をしました。彼らのたっての希望で、結婚式は暮らしの学校「だいだらぼっち」の母屋で催行となりました。最近は100人を超すイベントに慣れたのか、仲間であるグリーンウッドスタッフ達は2ヶ月ほど前から「お二人の結婚を祝う会」を立ち上げ、てきぱきと準備を進めてきました。不肖ながら、私が直属の上司として祝う会の実行委員長です。
 当日は、結婚式にも披露宴にも、泰阜村からは暮らしの学校「だいだらぼっち」の子ども達や村長や区長、班長などの村の人達、遠方からはだいだらの子ども達の保護者、親戚・友人などが総勢で140名ほどが集まり、たいへん心温まる会となりました。みんなの気持ちが集まる、というのはことのほか気持ちがいいものだ、ということを改めて感じました。
実行委員長としては、式と宴が成功に終わってよかったよかったと胸をなでおろしています。準備もそうですが、当日は、親戚一同を前に「失敗してはいけない」と柄にもなく緊張して、たいへん疲れました。きっと実行委員のスタッフはみんな同じ緊張を味わっていたことでしょう。しかし、この疲れはとても心地よいものです。同じ疲れなら仕事の疲れよりこちらの方がいいなあ、と思ったりもしました。それもこれも、若者の可能性を感じるからです。まさに若者は宝! そう感じてしまうということは、私も歳をとってきた証拠かもしれません(笑)。
式と宴に参集していただいた皆様や関係者の皆様にこの場を借りまして御礼申し上げます。
(事務局長 辻だいち)





2007年11月18日
『結い 〜支え合いの文化を残せ〜』

 「子ども達の手はほんとに助かるなん」と、おじいま(おじいさまの意味)、おばあま(おばあさまの意味)の顔がほころびます。泰阜村田本地区一班。今日は一班住民総出の道作りの共同作業。グリーンウッドのスタッフも一班の構成員です。もちろん暮らしの学校「だいだらぼっち」の子ども達も構成員ですから、みんなで共同作業に参加します。
 「そんなに一所懸命やらんでもいいんだに」と、水田の所有者のおばあまがやさしく声をかけます。今度は道作りの共同作業に続き、米の脱穀の共同作業に参加です。今年暮らしの学校「だいだらぼっち」では米作りを復活。機械を持たないわれわれは、脱穀機を借りたお返しに脱穀機を共同で使う農家の脱穀作業のお手伝いです。
 非効率、不合理の名のもとに切り捨てられてきた僻地山村。でも、都会では失われつつある文化がその山村にこそ息づいているのです。その文化は「支え合い」「お互い様」の文化です。泰阜村にはまだまだ「隣組」や「仲間」といった、「結い」の制度が残っています。小さな村の住民が、少ないながらもそれぞれの財(時間、労働、食料、情報、お金)を持ち寄って、豊かな地域コミュニティを創り上げてきました。
 最近はその「結い」の持つコミュニティ構築力・教育力を都市部にも活かそうというネットワークの動きも増えています。でも、やっぱりその土地に脈々と営まれてきた文化の中に身をおくことの方が気持ちいい。この村に育ち、毎日毎日「支え合い」「お互い様」「結い」の文化をあびている子ども達は幸せだと思います。そして青年としてこの村を形作ろうとする私たちも、その文化の中に身をおくことだけではなく、その文化を残して次世代に伝えていかなければと強く思うのです。   (事務局長 辻だいち)




2007年11月13日
『MFA 世界最新・最高水準の救命情報』

 グリーンウッドには今、地域で命を守ることのできる一般市民を養成できるMFA(メディック・ファースト・エイド=救急救命法の国際規格)のインストラクターが6名所属しています。おそらく日本で最も層の厚い団体です。私は彼らインストラクターを養成できるインストラクター・トレーナーというレベルにいます。日本で今、15名程度しかいないそうです。
 11月13日に東京で、そのMFAインストラクター・トレーナーが一同に会するミーティングがありました。アメリカにあるMFA国際本社の社長と、プログラム開発責任者が、これでもか、というくらいに世界最新・最高水準の救命情報をプレゼンテーションしていました。世界の安全基準は刻一刻と進化しているのです。驚きの連続でした。
 13日の午後後半は、トレーナーに加えてインストラクターも交えての研修でした。そこでは素敵な出会いがありました。一昨年に私が開催したAED(自動体外式除細動器=電気ショックで心配停止を復活させる器具)コース講習に新潟から参加した方が、今やインストラクターとなっており、予期せぬうれしい出会いとなりました。この後実家の山口で、NPOと株式会社を起業するようです。また、小児コース講習に静岡から参加した方も、今やインストラクターとなっていて、こちらもうれしい再会でした。また、2年ほど前に東京で開催した小児コース講習でアシスタントに来ていただいた方とも再会しました。当時彼女は講習がなかなか開催できずに僕のアシスタントで経験を積んだ方ですが、今や小児講習の養成人数が日本で1位・2位を争う方に成長しています。
 一般市民の方が救命法講習受講を機会にインストラクターを目指し、しかもインストラクターとして大きく活躍しているというのは、彼らを産み出した私にとってもそしてグリーンウッドにとってもたいへん励みになります。僻地山村、グリーンウッド発の安全教育ネットワークが全国に広がって機能し始めている、ということですね。
 AEDが全国で公共機関を中心に急速に配備されています。安心な世の中を作るにはゴールはなさそうです。私たち自身も常に進化したいものです。 (事務局長 辻だいち)




2007年11月6日
『沖縄の風その3 未来を生きる子どもたちへ』

 最近、息子二人をたいへん厳しく叱りました。自分の想いどおりにならないからといって、相手を思い通りにさせることの愚かさ。自分の思い通りにならないからといって、相手を脅したり攻撃したりすることの愚かさを。そしてそれが戦争につながるのだということを。
 沖縄旅行中に、その息子たちに沖縄の歴史をゆっくりと少しずつ伝えました。彼らがどう感じているのかはわかりません。でも、琉球王朝が制圧された歴史と未だに基地がある現状を見れば、小さい子どもながらに「何かおかしい」と感じているはずです。
 思い通りにならないからといって、投げ出したり逆ギレしたり。この国では、首相や野党の党首も同じような事をやっているのですからあきれかえるばかりです。この状況で、未来を生きる子どもたちに何を伝えていけば良いのか、と頭を抱えている人は少なくはないはずです。そんな時、これまでのコラムで紹介している通り、中根さんの住む「安田」地区の人々の悠然とした佇まいを思い出すのです。あのようなおおらかさと、強い自己決定権を発揮する佇まいを子ども達に伝えていきたい、と。
 そして沖縄でまた10年ぶりに素敵な出会いがありました。沖縄県名護市の屋我地島にある愛楽園(国立療養所沖縄愛楽園)です。ハンセン病の施設です。ここにも未来を生きる子どもたちに伝えたいことがあります。ぜひ「沖縄 愛楽園」でインターネットで検索してください。近いうちに愛楽園についてコラムで紹介したいと思います。
(事務局長 辻だいち)




2007年10月30日
『沖縄の風その2 自己決定権』

 久しぶりに感動する言葉に出会いました。グリーンウッド代表の村上むさしが自身のコラムでも紹介しているわが泰阜村の村長松島貞治氏の「我々が守るのは村ではなく、どんな体制で仕事をしようが、地域のことは住民が決める自己決定権を手放さないことだ」という言葉です。この言葉は朝日新聞で紹介されていました。そういえば、その数日前に、論文を書くので村長に話が聞きたいという暮らしの学校「だいだらぼっち」卒業生を連れて伺った村長の家でも同じような話を聞いたことを思い出しました。
 この言葉がぴったりあてはまる集落が、前回紹介した沖縄の中根さんが住む集落「安田」地区です。自己決定権が非常に強く存在する集落です。私は幸運にも朝の散歩の時、集落の中をヤンバルクイナが歩いているのを見ました。マングースや捨て猫・犬によって絶滅の危機に瀕して山の奥へ奥へと逃避行をしているヤンバルクイナが、なぜこの集落では人間と共生していけるのか。それは、たった200人の集落が、市町村や県、国顔負けの自治を行っているからです。全国あちこちを見てきましたが、これほど自治能力の高い集落(自治体ではなく)には初めて出会いました。その心地よい魅力が「また来たい」と思わせるのかもしれません。(「なぜ」を知りたい方はぜひ「安田」集落に行ってみてください。目からウロコです)
 しかし、縮尺を広げてみれば、そこには自己決定権が弱い沖縄があります。これほど自己決定権が弱い自治体にも出会ったことがありません。一緒に旅行した息子に沖縄の歴史や基地のある現状などを伝えようとしますが、その基となる歴史認識の基準はいったいどこにあるのでしょうか。
 国策のしわ寄せは必ず弱者やマイノリティにたどり着きます。私の住む僻地山村:泰阜村も平成の大合併の国策により息切れがしそうです。でも、やはり、その地域のことはその地域に住む住民が決めることを大事にしたい。その気持ちを持ち続けることができれば、きっと自立できるのだと想います。それは沖縄も、日本も同じです。
 自己決定権の強い集落と自己決定権の弱い自治体を旅して、そんなことを想いました。
(事務局長 辻だいち)





2007年10月22日
『沖縄の風その1 ヤンバルクイナと共生する集落』

 週末に沖縄に行ってきました。結婚10周年記念で、新婚旅行で行った沖縄に家族で行こうということになりました。5月〜6月を予定していましたが、息子たちの学校行事や仕事の都合で日程がとれず、このままでは流れてしまうと一念発起で行ってきました。その旅行中に感じたことなどを少し紹介したいと想います。
 今回の旅行は、リゾートホテルなどに泊まるのではなく(泊まってみたいのですが。笑)、そのままの沖縄を感じるために、沖縄の友人の家に泊まりました。それも沖縄本島北部のやんばる地域。その友人とは、やんばる地域で自然学校を運営する中根忍さんです。見た目はまさに唄にある「♪ハイサイおじさん♪」という感じですが、温厚な人で息子たちにも大人気です。苦労して生きてきただけあって含蓄あふれる話が印象的です。
 その中根さんの家に2泊させてもらいました。海岸に面した200人ほどの集落。夜になると集落の周りに棲息するヤンバルクイナが合唱します。その声にあわせるかのように夜な夜な集落の人々が中根さんの家に遊びに来て、泡盛で宴会となります。この開放的な雰囲気は、北陸・北海道・信州と、寒いところで生きてきた私にとって衝撃的です。
 朝は漁港で漁師の仕事を見させていただき、とれたばかりの南の魚を豪快にさばいた漁師飯をごちそうになりました。まだまだ泳げる海でカヌー遊びにシュノーケリング。息子たちはクマノミを見つけて「ニモだ!」と大喜び。何度も何度も透き通る海に潜っていました。
 「また来たい」と本当に想う旅行は久しぶりです。そう思わせる魅力が沖縄にあるのでしょうか。最近は老後を沖縄で過ごそうと考える人や、現実的に移住する人も増えているようです。私は沖縄もそうですが、中根さんの住む集落にたいへん魅力を感じました。次回は、ヤンバルクイナと共生する集落「安田」地区について紹介します。
(事務局長 辻だいち)


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